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初代門司駅遺構【遺跡編】

time 2024/07/01

2023年(令和5年)、北九州市門司区の工事現場からある遺跡が発掘されたとの情報が巡った。

発掘範囲は現在の門司港駅から山手側へ100メートルほど、トロッコ駅(平筑門司港レトロ観光線九州鉄道記念館駅)と九州鉄道記念館の間といったら分かりやすいだろうか。

【初代門司駅遺構】だ。

古くは6世紀の土器、それから現代に続く奈良、平安、鎌倉、室町、江戸のものとされる貴重な遺物が出土されているが、ここでは明治期に初代門司駅として開業した当時に作られた鉄道遺構について取り上げる。

まずは時系列として簡単ではあるが、以下の年表を参考にしてほしい。

発掘された2023年(令和5年)から遡り、132年前の1891年(明治24年)、この地に九州の鉄道の起点となる初代門司駅が開業した。当時は「門司駅」と呼んだ。
関門連絡船の輸送力の強化のため、23年後の1914年(大正3年)に、海側へ100メートルほどの位置に現在にも続く駅舎が開業した。

◇◇◇

工事現場から発掘された、と冒頭に書いたがここには門司区役所や公共施設を集約した「門司複合公共施設」の建設予定地であり、その関連工事の際に発掘されたのだ。

◇◇◇

Google mapの航空写真で発掘の際の様子が見ることができたので以下、利用規約に則り使用します。
切り抜き、加工等を用いますが、その権利はGoogle に帰属します。

上記航空写真の右上が発掘現場である。
地表が開かれ、なにやら格子状の模様が確認できる。拡大してみよう。

上部に見える格子状のもの、これは【機関車庫跡】とされるものだ。
同時期に北九州市立埋蔵文化財センターで開催された、初代門司駅舎跡発掘調査速報展の資料も加え発信する。なお写真撮影許可済み。

上記画像の赤枠で囲った部分が今回発掘調査された箇所である。角度は若干違うが、航空写真と比較していただくと分かりやすい。画像に関しては左手を小倉側、右手を門司側としてご覧を。

航空写真と1897年(明治30年)の構内図と重ね合わせた動画を作成した。
右読みで「機関車庫」と書かれている部分がぴたりと重なる。

基礎の跡と構内図の機関車庫との位置関係が分かるだろうか。

実際の画像はこちら。煉瓦で積まれた部分も確認できる。
この上に建屋があり、ここには機関車が二機停めることができた模様。
ただ、構内図を見る限り、線路自体は発掘区画の外側(小倉側)っぽい。整備など行う資材などが置かれていたり、作業が行われていた部分と思われる。

発掘調査エリアには立ち入ることができないため、撮影した写真でしかその様子を伺い知ることはできなかった。以下2023年(令和5年)秋に撮影した写真だ。

レンガは長手と小口を交互に積み重ねるイギリス積み。この画像では分かりづらいが、レンガを積むにあたっての基礎は、コンクリートを用いた近代的な技法だ。

北九州市立埋蔵文化センターの資料より。厚いコンクリートの基礎が確認できる。

上の写真は構内図で赤線の下部にあたる部分。
先ほどの1897年(明治30年)から14年後の1911年(明治30年)の構内図が下記。
2線の線路が侵入する建屋のコンクリート?基礎と思われる。

下記はさらに3年後の1914年(大正3年)、現在の位置に門司駅が移転した時期の電燈配置図とされるもの。
電気工事のものでおそらく⚪︎-と記されているものが電燈のことだろう。この図はかなり詳細に描かれており、先ほどの写真の場所は修繕工場と記載されている。
また、機関車庫はそのまま現存、転車台の場所も変わっている。調査区内では作業場と記載があるので機関庫とは仕切られていたのかもしれない。

バルブと思われる遺物が。時代に関しては不明だが、この場所は100年を越す歴史の中で、増築や改築が行われ続けていた。この度発掘された中でも明治期から平成に渡るまでの遺物が出土している。

追記:2024年(令和6年)6月、さらに九州鉄道記念館側の地盤が掘削された。

結構な長さを掘削されている。九州鉄道記念館ゲート前、旧0マイル標のあたりから左右に。
立ち入ることができないので隙間から撮った。

地盤の色が切り替わる部分。陸地と埋立地の境だろうか?資料と概ね一致。
煉瓦はゴロゴロ無造作に斬り壊されている。

国道方面。大きなコンクリートと思しき塊。さらに奥には煉瓦構造物が。
この辺りになると初代の駅舎跡に掛かっている。

そのコンクリートと煉瓦の間に何やら太い丸太の様なものが垂直に立っている。
スマホカメラでなんとかズームしてみても木材で間違いない。
よく見ると碍子(がいし)の様なものも埋まっている?

この工事は遺跡の発掘調査的ではなく、複合公共施設建設に伴う附帯工事だ。
ここは旧駅舎のあった場所に掛かっている。煉瓦遺構が出土しているが、現状で発掘調査は行われないとの事。

土木建築においてスクラップアンドビルドは常のもの。
この遺跡は、門司港の歴史において相当に重要視できる発見だったことがわかる。
100年を土の下で眠ってきた遺構はこれを見た現代人に何を物語るのだろうか。

初代門司駅遺構【土木技術編】
初代門司駅遺構【発掘遺物編】



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Write by Taka
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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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