2025/03/09
八幡西区折尾。
折尾駅周辺の再開発事業では、利用者の利便性向上と、より魅力的な駅を中心としたターミナルとして美しく新しい街として蘇っている。
1891年(明治24年)2月に九州鉄道(現在の鹿児島本線)が、数百メートルほど離れた場所に同年8月、筑豊興業鉄道(現在の筑豊本線)がどちらも同名の折尾駅として開業したのをきっかけに、1895年(明治28年)に軌道の交差する複雑な駅が形成されていった。
明治期の鉄道の土木構造は主に煉瓦造。立体交差での高架では煉瓦橋台でのガーダー橋が作られた。

写真は2017年、廃止される前の折尾の立体交差だ。下を走るのが筑豊本線、ガードの上は鹿児島本線。
この低い鉄道橋のため、2001年(平成13年)に筑豊本線が電化される際、架線の頭上高が確保できない問題のため、折尾ー若松間では非電化のままとなる。
これによって若松から折尾より先への直通の「電車」は走れない構造だった(ディーゼル気動車は可能)
その後通常は架線から給電しつつ走行、同時に蓄電池へ充電。パンタグラフを下ろし非電化区画を蓄電池で走る通称「DENCHA」が運用されている。
鹿児島本線はもっと前の1961年(昭和36年)にすでに電化されている。
鹿児島本線と筑豊本線、それにもうひとつ折尾に侵入する鉄道路線があった。
こちらは開業時から「電車」の西鉄北九州線である。
西鉄北九州線は1906年(明治39年)に小倉軌道として創業。1914年(大正3年)に黒崎ー折尾間が開通し、北九州線の全線が開通する事となる。折尾の立体交差が出来て19年後のことだ。
西鉄北九州線は2000年(平成12年)に全線が廃線となったので、記憶にも残る方も多いかと思う。
北九州本線は門司から砂津、黒崎間は車道との併用軌道、いわゆる路面電車だった。
黒崎ー折尾間は列車のみが走る専用軌道となり、敷石と枕木の上にレールが敷かれ電車が走行していて、廃止されて長く経ったいまなおその雰囲気を残す空き地が散見される。西鉄が廃止後は筑豊電鉄が黒崎ー熊西間を引き継いだので、そこにはチンチン電車が走っていた当時の景色がそのまま残っている、と言っても良いかもしれない。

折尾駅周辺の再開発事業では、多くの煉瓦構造物が解体、撤去された。開業時からずっと埋もれていた赤煉瓦もわずかに陽の光を浴びたのち、重機でどんどん削られていってしまった。

その中で、唯一遺る煉瓦構造物が今回フォーカスするもの。

西鉄折尾駅の3連煉瓦アーチ高架橋だ。
写真では、左側が黒崎方面、右側が西鉄折尾駅となる。
2012年、2017年、2025年と各写真の年代がバラバラになるのはご了承願いたい。

2017年の写真。上部は草ぼうぼうだが、ここに2本の線路があった。
右手に見える懐かしいオリオンプラザからも分かる様に、黒崎側からは盛土による築堤がされ、ゆるやかに高いレベルへと登っていった。

少しわかりづらいが、右手に踏切が見える。
これは現在は高架化事業で廃止され撤去されたが、筑豊本線の短絡線。これを越えるための高さを必要としたのだ。

橋梁は鋼製で、渡った先にも同じ様な煉瓦アーチがあった。
それはすでに解体されているので写真はないが、これと同じ様な6連の煉瓦アーチだった。つまりここには途中筑豊本線を跨ぎつつ、9連の煉瓦アーチ橋が存在していた。
そこから地上へとゆるやかに下るスペースはないので、折尾駅の乗り場は建屋の上階に作られた。廃止時もビルに侵入する様な形で終点の折尾駅ホームがあったのだ。
この残された煉瓦橋だが、日本最大級の特徴を持つ。
3連あるアーチの一番南側、【ねじりまんぽ】である。

ねじりまんぽとはアーチの積み方が入り口に対して角度がついている、”ねじれて”いるのだ。
ではなぜ”ねじる”必要があったのか。
下の比較写真は南北両方向から見たもの。3つのアーチの間隔を見比べてみてほしい。


北側では等間隔だったアーチが、南側ではひとつだけ離れているのが分かると思う。
このアーチのみ、斜めになっているのだ。

略図を作ってみた。3連アーチの黒崎側のみ、約75°の角度が付いている。
ではなぜひとつだけ角度がついているのか。

赤四角が3連アーチ、それに対して青線がこの時代の”目抜き通り”だった。その通りを優先したのだ。
もともとあったメインストリートの上に斜めに煉瓦アーチを掛ける必要があった。
煉瓦アーチは、橋に対し垂直に煉瓦アーチを組む事で、力学的に一番安定し強度が保てる。
煉瓦でアーチを組む際、ひとつひとつの煉瓦が面で力を支えバランスを取るが、斜めになってしまうとその均衡が崩れる。荷重を分散するため”ねじって”組んだものが【ねじりまんぽ】なのだ。
、と言ってみるも専門でないのでなんとも難しい。
この様な斜めにアーチを組む際に、力学的に最適な煉瓦積み、それがねじりまんぽなのだ。
最初期のねじりまんぽは諸説あるが、ヨーロッパで生まれた。
明治期に煉瓦文化が輸入されると、それとともに煉瓦積みの技術も伝来した。それには複雑な計算式と、技術的な難しさもあるはずだが、当時の日本人技術者はこうして100年以上も残る構造物を強固に作り上げた。
もっともやはり技術的に難しかったらしく、ねじりまんぽは現在国内に30箇所程度しか残っていないという。
それも多くは近代化を支えた鉄道事業で見られ、それを採用するインフラの重要さがあったことが分かる。
現在煉瓦アーチは各所で見られるが、煉瓦構造を優先したためか、ねじりまんぽは少ない。
道路や水路があったなら、アーチ組みに伴い垂直に直したもの多かったのではないかと推測する。

北九州近隣では、香春町にある日田彦山線に架かる【欅坂橋梁(けやきざかきょうりょう)】が有名。
1915年(大正4年)完成と折尾の煉瓦高架橋とほぼ同年代。

ここは下部を花崗岩積み、煉瓦に掛かる箇所もノコギリ状の迫石(せりいし)が組まれている。この角度こそ重要なのだ。
ここの場合は、下の道が旧秋月街道なので、街道を優先した結果なのではないかと推測する。
この他に近年発見された八幡西区皇后崎にねじりまんぽがあるというが未見だ。
そもそも【ねじりまんぽ】という名も不思議な語感だが、「まんぽ」の語源はトンネルや坑口を指す言葉で、鉱山などの入り口を「間歩(まぶ)」と呼ぶことがあるのでその辺りから来ているらしい。
土木の専門用語ではは斜架拱(しゃかきょう)、英語ではSkew arch(ゆがめる 曲線構造物)とされる。
折尾のねじりまんぽに戻る。

このねじりまんぽは道路との角度が約75度、延長約13.4m、径間約6.1mを誇る日本最大級のものとされている。
ちなみに先に紹介した欅坂橋梁は2番目。

欅坂橋梁とは異なり、垂直に立ち上がる下部も煉瓦積み、長手と小口を交互に積むイギリス積みだ。
アーチ部は長手積み。

その大きさも相まって、照明も無いが日中でも暗さは感じられない。

端部に迫石があり、アーチの巻きは5連。

中を歩き見上げるとなんとも言えない、異空間の様な不思議な感覚に襲われる。
雨水の染み出しや煉瓦の継ぎ目から植物が生えるも大きな損傷はない。

人や車の行き交う現役のトンネルだからこそ、劣化も少なく見える。落書きもあるけど…

歴史の重なりか。
そこそこなエフロレッセンス(白華現象)が出ている。これは雨水で溶け出した煉瓦の目地のモルタルの成分が二酸化炭素と反応したものだとか。

車のサイズ感から比較してその大きさが分かる。
こう言ったトンネルはガリガリと側面を削った跡を見ることが多いが、ここにはそれほど見受けられない。延長の短さと明るさも相まって圧迫感がないからだろうか。中ですれ違いはしたく無いが、双方向から見通しがよく譲り合いもしやすかったのだろう。

かといって全体を身見て状態が良いわけではなく、折尾駅側のアーチ上部には亀裂が。

その内部はコンクリートの梁で補強されている。
これがいつ頃の補修なのかは不明。だがそれなりに大掛かりな補強であるため現役の間?

ねじりまんぽ以外のふたつのアーチ内は普通の煉瓦積み。
どちらもフェンスがあり立ち入り禁止となっている。

真ん中のアーチ。こちらは補強もなく綺麗な状態。(ねこが”おるね”)
何か古レールがあるが…しかも曲げられているものも。
え、これもしかして旧折尾駅のホームで使われてた柱??

↑2010年の4・5番乗り場の写真。開業当時の輸入物で、ホームの屋根の支柱として再利用されていた。
一部は新折尾駅の照明等の柱として活用されているが、まだ残ってたのだろうか?

2025年に訪れた際には黒崎側へ続いていた築堤がなくなっていた。
そのおかげ大正期から土の中にあった煉瓦の構造がよく分かる。

ブルーシートで覆われていてその全貌が見えなかったが、端部の構造がよく分かる(ねこおるね)
上部は判断が難しいが、やや黒みがあり焼き過ぎ煉瓦の様に見える。
焼き過ぎ煉瓦は通常の煉瓦を高温で焼くので耐久性などに優れるという。
その下の黄土色部分はすべて土の中だった部分だ。
特徴的なのは長手部分が突出している部分があること。
地上の欄干部はきれいに端が始末されているのがわかる。半割煉瓦を用いツライチにしている
しかし見えない地中部は美的に必要ないのか、はたまた土との噛み合いを強固にするためか不明だが、長手部分をそのまま突出させている。
似た構造で、下駄っ歯と呼ばれる将来の拡張のための煉瓦構造もあるが、ここは多分違う。

からすもおるね

しばらく前までは築堤部分は駐輪場だった。

その傍に犬釘が。
犬釘は枕木にレールを固定するための釘。
併用軌道では固定方法が異なるが、列車のみ走る専用軌道だったために使われていたものだろう。
工事で掘り起こした際に出てきたものだろうか。結構貴重な遺物だと思うぞ。

この築堤が今後どうなるかは不明。

その構造的希少さもあるが、なにより地元の人たちにとっての誇りでもある【ねじりまんぽ】
西鉄電車が廃止され、折尾駅周辺が再開発により姿を変え、それでも残っている唯一の煉瓦構造物。
折尾駅南口一帯も様変わりする再開発プランがあり、この辺りは公園となる予定の様だ。
しかし2025年夏現在この煉瓦橋の運命は解体か保存かまだ決まっていない。
文化財クラスと言われ続けているが、それらの指定は無い「無冠のねじりまんぽ」
大きく変わってゆく街を最後まで見てきた煉瓦高架橋は今後どうなるか、見守っていきたい。
Kitakyu Heritage / キタキューヘリテージ
Write by Taka
