キタキューヘリテージ  Kitakyu Heritage

今も海を見つめ続ける【軍艦防波堤】

time 2013/03/06


北九州市若松。
響灘に面し、大規模な埋め立て地には大きな工場が建ち並ぶ。
近年は北九州市が「エコタウン事業」として循環型社会の構築を図るべく、環境都市の中核を担う場所として整備している。
そんな一角に、戦争の忘れ形見が眠る事をご存知だろうか。

【軍艦防波堤(ぐんかんぼうはてい)】だ。
正式には【響灘沈艦護岸(ひびきなだちんかんごがん)】と呼ばれている。
その名の通り、旧日本軍の軍艦を沈め、防波堤として利用している。
戦後旧日本軍の軍艦は、米軍に撤収されるもの、戦利品として他国へ引き渡されるもの、鉄スクラップにされ売却されるもの等、運命を様々としたが、一部の軍艦は海へと沈められ軍艦防波堤として活用された。
1948年(昭和23年)ここへ沈められたのは、”柳(やなぎ)” ”涼月(すずづき)” ”冬月(ふゆつき)”の三艦だ。

・”柳”  1917年(大正6年) 竣工
・”涼月” 1942年(昭和17年)竣工
・”冬月” 1944年(昭和19年)竣工
戦争は肯定は出来ないが、三艦とも大海で活躍した「誉れ高き」艦だ。
現在軍艦防波堤としてその姿を見る事が出来るのが、”柳”だ。

船首

船尾

上に乗っている消波ブロック?は軍艦とは無関係。

砲座の基礎だろうか?
甲板の上に立ってみると、不思議な感覚になる。
当時の軍人は何を思っていたのだろうか。

“柳”の船首の先には”涼月””冬月”も『軍艦防波堤』として同時に沈められたが、その後台風の影響や劣化により完全に埋め立てられてしまった。

なんとかその痕跡を見つけようとしたが、すっかり埋め立てられていて今ではその姿を想像する他ない。
しかし、完全に埋め立てられてしまう前の昭和49年の航空写真に辛うじて”冬月”を見る事が出来る。

国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省より




長年の響灘の潮風に晒された姿は劣化が激しく、痛々しい。
周りをコンクリートで固められ、防波堤としての役割は終わり護岸の一部になっているが、二度と外海へと進む事の無い”軍艦”は今も戦争とは何かを静かに問いかける。

遠く若戸大橋を望むこの場所。
この艦で戦地へ赴き散った命もある。
年月が記憶を薄れさせるのは仕方の無い事かもしれない。
しかしこの”軍艦”は戦争を知らない世代へと語りかける。
ぜひとも実際に赴き、甲板に立ってみてほしい。
写真では伝えられない思いが少しでも理解出来てもらえるはずだ。
航空写真ではその全貌がわかりやすい。

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コメント

  • SECRET: 0
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    軍艦防波堤、取り上げていただき、ありがとうございます。
    私ももちろん戦争は嫌いです。しかし、生き残りの人に話を聞くと、もう生きる事全て、世の中すべてが戦争だったようで、渦中に巻き込まれた人がもがいたかは、本当に語られる機会が少ないようです。
    戦争の時代、世の中の全てが軍と関わっていて、避けられる人は極めて少なかったようです。
    変な例ですが、
    福岡県、若宮温泉の梅干し工場の跡地に、工場のいわれを書いた看板がありました。
    その梅干し工場は、軍人さんの食料にするための梅干しを量産していたとのこと。なんと、梅干しが軍需産業だったんです。梅干しですよ。
    私達はもちろん戦争に向かって世の中が動くことを監視し、修正すべき時代にいます。
    一方、戦争に生きた人々は、どう生きたかを1つずつでも掘り起こし、或いは現地に赴いて思いを馳せ、書き残すこと、これは平和を目指し理由を教えるとても大切な作業だと思います。
    また私も軍艦防波堤を訪ねるつもりです。

    by 抹茶 €2013-03-28 00:30

  • SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    抹茶さんコメントありがとうございました。
    そちらのサイトはこの記事を書くにあたり参考にさせていただきました。
    個人的なお話になるのですが、数年前亡くなった祖父が陸軍の軍人でした。
    小倉の第十二師団に在籍し、シベリアや満州にも出征していたそうです。
    しかし生前、そんな話をあまりしたことがなく、幼い頃一緒にお風呂に入ってる時に、
    「これは戦争のとき銃弾を受けた傷だよ」と聞いた覚えがあります。
    戦争を語る人は時の流れにつれどんどん少なくなっています。
    私は1981年生まれで、もちろん”戦争を知らない世代”です。
    しかしメディアが発達した現在、世界各地の戦争の実情を知る事が出来ます。もちろんリアルとは程遠い事とは思いますが・・・。
    それ故に感じる事、知りたいと思う事が多くあります。
    祖父は昭和20年8月9日に小倉に居たと聞きました。
    小倉に原爆が落とされる予定だった日です。
    今、自分がここに存在する事は、戦時中を先人達が生き抜いて来た証拠。
    戦争は肯定は出来ません、しかしそれを無かった事にもできません。
    語り継いで行くべき事なんですよね。
    北九州には戦争遺跡が多数遺っています。
    今後も特別な思いで紹介出来て行けたらと思っています。

    by Taka €2013-03-28 19:48

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「0哩 ゼロマイル〜北九州の近代化遺産〜」が「Kitakyu Heritage キタキューヘリテージ」として新たに出発しました。北九州のディープな魅力を再発見!

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北九州市在住。ベスパとハーレー、両極端のバイク乗り。北九州を愛し、北九州の魅力の再発見に余念が無い。人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。