2024/07/01
新門司港。
関門海峡に面する方を表とし、その反対に周防灘に面するこの一帯を、古くから裏門司と呼ばれていたが、埋め立てにより「新門司」と呼ばれるようになった。
国内各所を結ぶ旅客フェリーターミナルを中心とし、多くの企業の倉庫や配送センターが集中する、いわば北九州の海の玄関口だ。
そんな新門司港の一角に、ある島が姿そのまま残されている場所がある。
【津村島(つむらしま)】だ。
地図を見てわかるように、自然な島の形こそそのままだが、周囲は島を避けるように人工的に埋め立てられ、あたかも島を守っているかのようだ。
元々は今津の海岸より1kmほどの海上に浮かぶ離島であったが、徐々に埋め立てが進み、現在の姿に至っている。
人は住んでおらず、人工の埋立地の中、古くからの自然の残る唯一の場所だ。
島のほとんどは岩石でできているようで、木々が茂るなか大きな岩も顔を出し、この島の特徴を捉えている。
津村島は石灰石でできている。
先ほど「人は住んでいない」と書いたが、案内板によるとかつてこの小さな島にはピーク時に39戸200名ほどが暮らしていたと言う。
遠くは広島から移住してきた者もいたというが、その全てが石灰石を採掘したり石灰石を焼くことを生業としていたのだったのだ。
もちろんその頃は埋め立てはされておらず、船に乗ってこの島へと移り住んできた。
長崎の軍艦島(端島)は石炭採掘で賑わい、一時は世界最大の人口密度とも言われ、立ち並ぶ高層マンションから遠目での島の姿が軍艦に見えたことから軍艦島と呼ばれているが、ここ津村島はその姿こそ違えど、周囲を数分で回れてしまうほどの小さな島に200人が暮らす集落があったのだ。
石灰石採掘の歴史は古く明治40年代にさかのぼる。
明治は1912(明治45年)で大正元年に年号が変わっているぞ(豆知識だ!)
近代化が進むにつれ建築でコンクリートが使われるようになって石灰石の需要が増えたのだろう。
平尾台や恒見、海を挟んで山口県の小野田などもそうだが、この一帯は石灰石が豊富に採れる地域だったのだ。
石炭は黒いダイヤ、石灰は白いダイヤと呼ばれ大変重宝されたのだ。
その後津村島は盛んに石灰石の採掘が行われた。
大手のセメント会社がこの島に工場を建てたいと交渉したが、地域の人たちとの話がまとまらず実現はしなかった。
その後需要の減少により、いつごろからか人が去ってゆきまた静かな無人島に戻ったのだ。
島の東側は大きな池になっている。
ここは石灰石の採掘場跡で、人々が去った後、地中へと掘った穴に海水が流れ込んで池になってしまった。
露天掘りだったのだろうか、濃い水の色からその深さが伺える。
中央部には小島があり、多種の鳥たちが羽を休めている。
採石が盛んだった頃はダイナマイトによる発破音で、鳥たちも穏やかであったとは思い難いぞ。
北側には唯一埋立地と繋がる道があるが、元々は島に作られた防波堤であり、ここに船を係留し島へと上陸していた。
下部の古いコンクリートがかつての防波堤で、その上に新しく島へと渡る連絡通路が作られているのがわかる。
連絡通路が作られる際、ここにあった係船柱(船を繋ぎ止めておくための柱)は移設され保存されている。
写真では草に覆われているが、石を削って作られた糸巻き状の柱だ。
連絡通路とは言ったが、この島への許可なくの上陸は禁止されている。
かつては人が暮らしたとはいえ、今となっては危険な箇所も多いためだ。
しかしこのような通路が設置されているのには訳がある。
基本的には島の保守管理用だろうが、もうひとつはここに今もある神社のためだろう。
石灰石の採掘が先か、神社が先かは定かではないが、古くからの言い伝えでは、この島自体がたいそう美しい女神様であり、それにまつわる神話もあるようだ。
詳しくは地域の子供たちが挿絵を描いた案内板が現地にあるので、ぜひ赴いてほしい。
この近辺の島の神様同士が津村島の女神様を巡って結構修羅場っている恋の争いのお話だ!
現在も毎年10月1日、2日の2日間で祭りが行われているという。
その神事のためでもあるのかもしれない。
ゲートと埋立地のフェンスの間に隙間が。。。
どれ、その先にいる釣り人に今日の釣果でも聞きに言ってみようか。。。
埋立地から海越しに鳥居が見える。
【津村明神社】だ。
いつ頃から祀られているかはわからないが、採掘で賑わった頃は、ここに住む者が作業の安全を祈ったことだろう。
鳥居の先には階段があり、登った先に拝殿があるという。
近くまで行くことができれば鳥居の設立年がわかるのだろうが、何度も言うが島内は立ち入り禁止だ。
平気で上陸してる釣り人もいるけど(ルールは守ろう)
こうなるとドローンで空撮?
なんて言うのが現代っぽいのだけど、沖には北九州空港もあるため禁止されているぞ。
まだ島内に立ち入れた頃だろうか?Youtubeに島内の動画もあるので興味のある方は探してみては。
明治期には想像もつかなかったであろう大きなフェリーが朝夕入出港する新門司。
周囲は緑地公園として整備されているものの人影は少なく、埋立地の端で鳥の楽園となっている【津村島】
人々が夢を見た白いダイヤも今は昔、神宿るこの島は自然に還っている。