2024/07/01
北九州市小倉南区上葛原(かみくずはら)
2005年(平成17年)に核となる大型のショッピングモールが開業すると、再開発が加速度的に進み、複数の大型店舗や病院などが立ち並び、郊外型の大きなひとつの街が出来上がった。
そもそもは主に農地であり、傍を流れる竹馬川(ちくまがわ)に水利を得ていた。
北九州東部では下曽根駅周辺の再開発が先に進んでおり、駅前立地での大型ショッピングモールを皮切りに、南口を真っ直ぐ走る通称“モール大通り”沿線に街が形成された。
しかし、今となっては自家用車での便の良い葛原地区に客は流れ、少しばかり寂しい雰囲気があるのも事実だ。
下曽根駅北口からは北九州空港へ徒歩圏であったものの、2006年(平成8年)3月16日に新北九州空港が周防灘海上に開港するとその役目を終え、新空港の開港前日に閉鎖した。
滑走路跡はしばらく駐車場としてそのまま使われていた。
廃止後しばらく残っていた管制塔も2012年には解体された。
空港跡地には九州労災病院が移転され、この辺りのランドマークになった。
周囲には高層マンションが立ち、スーパーなどが開店し暮らしやすい静かな街になっている。
大きな物流拠点や倉庫、工場や倉庫の誘致で産業団地も形成され、ここに空港があったと言う名残はほとんど消滅してしまった。
話は葛原エリアに戻る。
道路の拡張や区画整理などで交通の便のよくなった葛原地区は、もともと住宅街として栄えていたが、上葛原地区の再開発でさらに利便性は増し、今となっては北九州東部エリアで魅力のある街として存在している。
北九州市民のソウルフードである資さんうどん本店があるのも上葛原だ!!
下曽根地区から少し離れた場所にはなるが、ここにはかつての旧北九州空港の名残がいまだに残っている。
何の変哲もないように見える、鉄塔群。
山を越え続いてゆくこの送電の鉄塔。
発電所より続く高圧の送電線は変電所から変電所を渡り、やがて私たちの元へとやってくる重要なインフラである。
さては旧北九州空港へ電力を送っていたと言うのがこの記事の答えだな!と思ったあなた、間違ってはいないだろうが今回の焦点はそこではない。
いくつか写真を見てみよう。
なかなか気づきにくいところではあるが、この上葛原地区の鉄塔は『低い』のだ。
よく見る鉄塔といえば真っ直ぐに高くそびえる上の写真のようなものをイメージするが、この付近の鉄塔だけ門型鉄塔と呼ばれる、名の通り「門」の形をしたやや低めの鉄塔だ。
それに加え注視したいのは赤と白に塗り分けられていると言うことだ。
詳しいことは割愛するが、航空法で一定の基準以上になると塗り分けが義務付けられる。
例外もあるが、60メートル以上の高さになると、鉄塔の高さに対し7等分に赤白に塗り分けることになっている。
“航空法”がこの地域の低い鉄塔のキーワードだ。
国土交通省が提供する地図・航空写真閲覧サービスにて、1984年の航空写真をヒントに添えよう。
左側に広がる農地が上葛原地区。右手に見えるのは旧北九州空港。
続いて位置関係に印を入れた。
黄緑の三角は高さのある鉄塔、四角は門型鉄塔、緑の四角は変電施設である。
この鉄塔群は全て送電線によって繋がっている。
ちなみに高さのある鉄塔同士の距離は直線で約1,2km。
続いてもう少し広角にしてみよう。
黄色い線を引いてみたが、これは旧北九州空港の滑走路から延長してみたものだ。
これまで見ればお気づきだろう。
ちょうど高い鉄塔の間に挟まれた低い門型鉄塔のあるあたりが交わる。
そう、この低い鉄塔は空港の滑走路の延長線上にある、すなわち離発着のために低くされているのだ。
航空機の離発着の方向は風向きなど気候条件で変わる。
この場合、西側からのアプローチの際に航空機の飛行に影響しないよう低くされているのだ。
上の写真が高さ関係が分かりやすいだろう。
左端の鉄塔と中央右側が高い鉄塔、その間に低い門型鉄塔が建っている。
旧北九州空港は1944年(昭和19年)に陸軍曽根飛行場として開港した。
晩年は民間飛行場として東京行きの定期便が運行され、北九州の空の玄関口としてたくさんの人々を運んだことだろう。
今はその名残をわずかに残し、利便性の高い新北九州空港がその肩書きを引き継いだ。
空路は変わり、この上空に離発着のために低空飛行をする飛行機はいなくなった。
今は人知れず空港の栄華の名残をこの鉄塔が記憶しているのだ。
Kitakyu Heritage
write by TAKA