キタキューヘリテージ  Kitakyu Heritage

刻印煉瓦と【矢筈堡塁】

time 2014/05/14

 

 

北九州市門司区矢筈山(やはずやま)

Takaの趣味でもある低山トレッキングに来ています。
標高266mの小さな山は気軽に登山を楽しめる山として、地元のお年寄りの散歩コースや、はたまた山ガールの週末登山にも利用される気楽な山だ。
実際に普段着のおばあちゃんとすれ違ってビックリしたぞ!

山頂にキャンプ場がある為、通常は門により閉鎖されているが未舗装路ながら車の通れる道もあり、キャンプ客は車で上る事も出来る。

つづら折りのゆるやかな山道をのんびり登った山頂が、今日の目的地。

眼下には関門海峡。

テントを張ってキャンプを楽しむ方。

緑に囲まれた良い場所だ。
子供たちの声が響く野外学習の場も、キャンプ場が出来る遥か前、違う面持ちで海峡を見る人々がいた。

ここは【矢筈堡塁跡(やはずほるいあと)】だ。
これは以前の記事でも紹介した明治期の戦争遺跡である下関要塞の施設のひとつだ。
に眠る戦争遺跡 【高蔵山堡塁】
再び訪れた【高蔵山堡塁】
竣工は明治20年代頃(1880年代後半から1890年後半まで)とされている。
海峡に迫る艦隊を迎撃するため、設置された数々の下関要塞を結び、防衛線としたのだ。
ここ矢筈堡塁には多数の遺構が今も残り、キャンプ場の一部として保存活用されている。

キャンプ場の管理棟の横にあるのは短いトンネル。
映画やドラマのロケにも使われているようで、そのパネル展が行われていた。

内部には左右に部屋が設けられている。


煉瓦作りの内部は概ね白く塗られているが、恐らく調湿作用のある漆喰だろう。

このトンネルの為、この堡塁は立体的に行き来出来るようになっているのだ。



高蔵堡塁にも見られた半地下の倉庫跡。

危険防止の為かコンクリートブロックにて閉鎖されているが、保存状態は良好。




細い切り通しになっているのがこの矢筈堡塁の最大の特徴とも言える倉庫群だ。

その他の下関要塞とほぼ同じ様な作りで、煉瓦はイギリス積み。



まるで時が止まったかの様だ。


各部屋はキャンプ場が物置や木工場、学習の場として利用している様だ。



高蔵堡塁同様、各部屋は奥で繋がっており、人が行き来していたのだろう。




山の形状をうまく利用しているのか、階段も多数あり。
落葉で滑らないように注意!



鋲が打たれた重々しい扉は実は映画の撮影の為に作られたセット。

そこから地下に下ると、部屋が一つ。

この壕だけ他とは違う雰囲気を醸し出していたが、どう使われていたかは不明。

ここも漆喰を塗られているが、煉瓦はイギリス積。
この辺りからあるモノを探すため、煉瓦 をひとつひとつ見て回っていた。
そんなもんだから目前に迫る巨大ゲジゲジに何度もぎゃー!って叫ぶ事になる(汗)

自主規制だ!

重厚な花崗岩の階段だ。




各所に見られるこの胸の高さ程の壁とくぼみは、胸墻(きょうしょう)胸壁(きょうへき)等と呼ばれる物で、砲弾を避けつつ胸より上を出し、監視や攻撃の為に作られた物だ。
キャンプ場建設の為に取り壊された部分も多いらしい。
100年を越す今となっては木々に被われ見通しは悪いが、当時としては海峡側や裏門司側の見晴らしの良い場所に置かれていたのだろう。

こう言った感じかしら。の自撮りイメージ。


結局探していた物は見つけられず、キャンプ場の管理人さんに尋ねるとすぐに教えてくれた。

それは藤棚の設置された海峡を見晴らせる場所にある胸壁にあった。
完全に見落としてた

【いよみつ の刻印煉瓦】だ。
北九州内に遺る明治期の煉瓦建築などを見ると、八幡の九州鉄道大蔵線跡の煉瓦橋梁に遺る刻印があるが、この”いよみつ””イヨミツ”の刻印が一番有名ではないだろうか。





ご覧の通りいくつかのバリエーションがある。
管理人さんに聞くには、”いよみつ”を意味する物は伊予の三津浜。
すなわち現在の愛媛県松山市あたりで作られた煉瓦ではないかと言う事だ。
この当時輸入煉瓦が多かったらしいが、少なくともこの矢筈堡塁には国産煉瓦が使われていたと言う証拠だ。
しかし謎も残る。
なぜ、この胸壁にだけ刻印煉瓦が使われているのか。
他の胸壁に確認する事はできず、ここにだけ集中して使われていた。
設置時期が違うとか、製造元がちょっぴりCMアピールしちゃったとか仮説は尽きない。


管理人さんは親切で、その他の遺構も僕一人の為に巡って説明をしてくれた。
意外と見逃している物や、説明を聞いて納得する物もあり、非常に勉強になりました。
以下はあくまで仮説や管理人さんの考えである事を承知願いたい。

砲座跡。
煉瓦積みの手前にあるのは、連続して砲弾を発射した際に熱くなった砲身を冷やす為のプール跡だと言う。
軍艦が激しい海戦の際に、海水で真っ赤に焼けた砲身を冷やしたと言う話を聞いた事があるので、理にかなっている。

その後ろにある扇状の部位は砲台を動かす為のレールがあったのでは、と。
重い大砲を動かす為に車輪やレールがあると言うのは自然だ。
事実、別の要塞にそのような機構があった事を証明する資料もあると言う事だ。



コンクリートの基礎跡。

よく見ると鉄筋も確認出来る。
何かしらの小屋の様な物が建っていたのでは?との事。



先ほどのトンネルを抜けてすぐにあるのは砲座跡。

よく見るとヒトデの様な五角形のコンクリートの基礎。
細かい溝も掘られているが、どのように使われていたのかは想像もできない。
しかし重要な位置づけだったのでは無いだろうか。


下関要塞は海峡からの侵攻を防御する為に作られたが、時代が変わり航空機が主流になると、別の場所に高射砲陣地が構えられ、太平洋戦争終戦までこの矢筈堡塁は実際に火を放つ事はなかった。
現在ではキャンプ場として、野外学習の場として平和利用されている。
しかし明治期の戦争遺跡は、響き渡る子供たちの笑い声に、かつての戦争の事実を、そして平和を知る事を伝えようとしているのだ。

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///Kitakyu Heritage キタキューヘリテージ
Write by  “Taka”

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Taka

北九州市在住。ベスパとハーレー、両極端のバイク乗り。北九州を愛し、北九州の魅力の再発見に余念が無い。人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。