キタキューヘリテージ  Kitakyu Heritage

せせらぎと赤煉瓦の橋【九州鉄道茶屋町橋梁】

time 2015/03/27

北九州市八幡東区槻田川(つきたがわ)
猪倉(いのくら)地区の山中を源流とした小川は、やがて板櫃川と合流し、市内をゆるやかに流れやがて海へと注ぐ清流だ。
上流にはホタルも生息し、板櫃川と合流するまで住宅地の間をさらさらと流れている。

個人的な話だが、Takaは幼いころ上流に住んでいて祖父に手を取られ川沿いをよく歩いたものだ)

その流れが板櫃川と合流する少し手前、八幡東区茶屋町(ちゃやまち)に、大きな赤煉瓦の建造物が姿を表す。

【九州鉄道茶屋町橋梁(きゅうしゅうてつどう ちゃやまちきょうりょう)】だ。

「九州鉄道」とは1887年(明治20年)から1907年(明治40年)に存在した鉄道会社で、九州初の鉄道路線を敷設した、言わば九州の鉄道の起源だ。

1906年(明治39年)鉄道国有法が施行され、翌年に会社自体は解散することになった。

詳しい沿革は省略するが、1891年(明治24年)には当時の門司駅(現門司港駅)から熊本駅までがレールで繋がった。

現在の路線はほぼその当時のルートを走っていて、ちょっとしたところに赤煉瓦のアーチなどが今でも現役で使われている。
しかし、この槻田川を跨ぐ茶屋町橋梁の周りを見渡してみても鉄道の気配はない。


少し話はそれて、鹿児島本線を小倉駅から順に黒崎駅まで鈍行列車の旅をしてみよう。

小倉駅→西小倉駅→九州工大前駅→戸畑駅→枝光駅→スペースワールド駅→八幡駅→黒崎駅
(どこからか鉄道唱歌が聞こえてきた君はきっと鉄っちゃんだ!)

概ね海側の路線だが、このルートは1902年(明治35年)に開業、つまり先述の門司→熊本間が開通した1891年(明治24年)には存在していなかった。

では、どこを通っていたか?

それが今回の【九州鉄道茶屋町橋梁】で紐解くことができる。


1891年(明治24年)、小倉→黒崎間は海側でなく、山側に線路が敷設された。
これは当時の陸軍が海側からの敵艦による艦砲射撃による被害を防ぐために、開業にあたってこのルートを条件にしたと言う。

現在のランドマークを元に簡単にルートを説明すると、小倉駅からは南西にカーブを描き、九州歯科大から西へと進路を変える。

到津の森公園の南側を通ると、今回の【茶屋町橋梁】を渡り、大蔵から八幡東警察署、桃園公園を抜け、黒崎駅へと至る。

今の戸畑側を回るルートに比べると、確かに海側を大きく逸れていることがわかる。
小倉駅からは現在の大蔵公園にあった大蔵駅を経由し、黒崎駅に至っていた。

この山側を通る、小倉駅→大蔵駅→黒崎駅のルートは1908年(明治41年)に【大蔵線(おおくらせん)】と呼ばれる事となる。

奇しくも開業時には陸軍の意向で山側に敷設されたルートは、新たに敷設された海側ルートに主役を奪われ、1911年(明治44年)に廃止されることとなる。

わずか20年。
その間には、1901年(明治34年)の官営八幡製鉄所の操業開始など、激動の時代であったことは言うまでもない。


廃止から100年以上の年月が経った大蔵線の遺構は少しだが遺っていて、この【茶屋町橋梁】は最大の遺構だ。


目を引く美しき赤煉瓦の橋梁は、北九州市の市史跡に指定され、修復こそしてあるものの損壊も少なく状態は良好。


付近は緑化公園になっていて、季節の植物を愛でながらゆっくりとした時間が流れる。


この橋梁、川の上流側と下流側ではその表情が異なる。


上流側


下流側

下流側には特徴的な煉瓦の凹凸がある事がわかるだろう。
これは下駄っ歯と呼ばれ、デザイン的に美しいため設計者の装飾的意匠だとも言われてきたが、近年では将来的に複線化する際の煉瓦の継ぎ足し部だと言われている。

開業時は単線の大蔵線だが、将来複線化する時がくれば、この凸凹部に煉瓦を”噛ませて”強度を上げる目的だった。

将来の繁栄を、と思えばなんとも皮肉ではあるが、結果この【茶屋町橋梁】を印象付けるデザインとなっている。



煉瓦橋梁にはよく見受けられる、上流側の御影石の補強。
川の流れで煉瓦を浸食させないための工夫だろう。


事実多くの被害が出た水害の際にも、この橋はびくともしなかった。


せり元と呼ばれる部分。力学的にアーチのバランスを保っているらしい。
(難しい事は理解不能(笑))


煉瓦をよく観察すると、長手側に刻印のあるものが存在する。
いくつか種類があるようだが、写真ではカタカナの「ハ」漢字の「二」だと思われる。
少なくとも煉瓦は国産を使われていたという事だろう。

サイドはコンクリートで慣らされている。

小倉駅側


黒崎駅側

黒崎駅側にはなにやらコンクリートで一部だがアーチが描かれている。
これは昭和40年代の後半まで歩道橋として利用されていた頃の名残で、当時はこの煉瓦橋梁にコンクリート製の階段と欄干が設置され、誰でも自由に渡ることができたと言う。

ここではその写真は記載できないが、当時の写真を見ると実に興味深い。
1976年(昭和51年)北九州市の市史跡に指定されたのを機に当時の姿に復元されたのだろう。





わずか20年ほどしか列車の走ることのなかった大蔵線だが、100年以上過ぎた今も遺る煉瓦遺構である【茶屋町橋梁】

堂々とした佇まいは、九州の鉄道の起源ここにあり!と伝え続けている。

コメント

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    久しぶりの投稿ですねぇ。
    読み応えありました。
    大蔵線沿いを、ほぼ歩いては見たことがあり、昨年の
    イノベーションギャラリーの展示を見に行って本も購入
    したのですが、なかなか振り返る機会と考察力がなくて。
    尾倉の橋梁含めて続編を期待します(他力本願・・・)

    by べーやん €2015-03-28 19:42

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    ははは、すっかり冬眠してました^_^;
    今さらになって、KIGSの本を買いに行ったんですよ。無いかなーと思ってたらまだ在庫ありました。
    それで改めて茶屋町橋梁を見てみようと。
    同じく大蔵線跡をじっくり辿ってみようと思うんですが、そこそこの時間も必要そうでなかなか・・・
    尾倉橋梁の方もそのうちに〜

    by Taka €2015-03-28 22:10

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    このレンガの橋は街中に突然現れて、初めて見たときは「あァ鉄道の跡なんだ!」と驚きました。「茶屋町橋梁」というのですね。
    堂々としているけれどちょっと寂しげな感じでした。
    この槻田川もいいですね。板櫃川は北九州では生物が一番豊かだと思います。好きな川です。福岡、山口、島根の川で随分釣ってきましたが都会の中を流れているのに素晴らしい。

    by ひげおやじ €2017-02-21 00:14

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    ゆうに100年を越す建築が残っているのがすごいですよね。
    水害にも負けなかった煉瓦建築は素晴らしいです。
    北九州の川といえば紫川を思い浮かべますが、僕が一番好きな川はこの槻田川ですね。
    幼い頃上流に住んでいたということもありますが、僕にとっては原風景なのです。

    by Taka €2017-02-21 23:00

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Taka

北九州市在住。ベスパとハーレー、両極端のバイク乗り。北九州を愛し、北九州の魅力の再発見に余念が無い。人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。