Kitakyu Heritage

移り変わり進化する【折尾駅】

time 2025/08/02

北九州市八幡西区折尾。

北九州市の西に位置し、JR鹿児島本線と、それと分岐するJR筑豊本線では北九州最西端の折尾駅を中心に広がる副都心だ。
「学園都市」と称される様に、駅から南北に伸びる”学園大通り”沿いには多くの学校があり、市内外から通う学生の多い街としても知られる。

折尾は古くから交通の要所、鉄道の交差するクロスロードだった。
それは文字通りで、1891年(明治24年)2月に九州鉄道(現在の鹿児島本線)が折尾駅を開業、数百メートルほど離れた場所に同年8月、筑豊興業鉄道(現在の筑豊本線)も同名の折尾駅を開業した。

博多方面と小倉・門司方面を結ぶ東西線と、炭鉱の栄えた筑豊地区から石炭の積出港となる若松を結ぶ南北線。それぞれ走る路線は、その4年後の1895年(明治28年)に、日本初の鉄道による立体交差をすることになる。これにより東西南北からの人・物が文字通り交差する駅となった。

しかしその構造は複雑で、それぞれの路線に乗り入れる短絡線や、乗り場の複雑さ、乗り換え時での不便さなどから、2004年(平成16年)の工事認可から約20年以上にも及ぶ折尾駅の高架化事業と駅周辺の整備により、立体交差は廃止され、新たな路線の新設、新駅舎とともに全く新しい街として生まれ変わっている。(執筆時時点では南口は工事中)


2012年(平成24年)に旧駅舎の閉鎖に伴うイベントに参加したが、その当時の写真を紹介する。
この日は「ありがとう折尾駅舎」と言う、年内には解体されてしまう折尾駅のさよならイベントが行われていた。筆者のTakaは北九州でも東部の人間なので、折尾駅にお世話になったことは…あんまりない。けどちゃっかり参加。強いて言うなら、この当時は高須に仕事で通っていたので、近くは毎日車で通っていた。

なつかしの折尾駅舎

ご覧の通り、駅前広場はイベント会場として賑わっていた。

この見慣れた駅舎のデザインは1916年(大正5年)にハーフティンバー様式で開業。その後数度の改修が行われ、写真の最後のスタイルは1986年(昭和61年)に大改修されたもの。車輪のモチーフも。
設計者については不明だが、東京駅を設計した辰野金吾(たつのきんご)説もあるが、確証のない話だそう。
一見すると整って見えるが、中央以外の左右の部分を見ると左右非対称なのがわかる。

↑新駅舎はバランスの良い左右対称。旧駅舎と雰囲気は見ているが、新設計。デザインは1916年(大正5年)を踏襲している。ちなみに2階はある様に見えて無い。

待合室の木製の柱。これは現在の駅舎に移設されている。


左手の駐輪場は、西鉄北九州線の廃線跡。西鉄折尾駅に続く煉瓦高架へと向かう築堤。奥がJR折尾駅で、その手前に見える踏切は筑豊本線の短絡線。筑豊本線から小倉方面へとショートカットする線路だったが、今はすべて撤去された。

西鉄の煉瓦高架橋の3連アーチ。いちばん右側は【ねじりまんぽ】
この高架から短絡線を超えていた。これも立体交差。
ねじりまんぽについてはまた別の記事で。

3連アーチの突端。本来はこの先の短絡線を超えた後に6連のレンガアーチがあり、折尾駅に接続していた。
ちらりと映るタイル張りの建物は、この界隈の人には涙が出そうな懐かしい「オリオンプラザ」
西鉄北九州線は1914年(大正3年)に折尾まで開業している。黒崎ー折尾間の廃止は2000年(平成12年)。

福岡県内の廃線についてはおっちーさんの「遺構へ行こう」西鉄折尾駅についても↓

https://otchee.com/railroad/nnr_kq200704/nnr_ktq0704_01.html

6連アーチは2011年(平成23年)に全て解体されたが、その赤煉瓦の一部は再生され、残った3連アーチ(ねじりまんぽ)の延長線上にモニュメントとして残された。

その他にも舗装材として貼られたりしてその歴史は今も息づく。

筑豊本線を折尾駅方面から南を見る。写真の奥で短絡線と分岐する。

分岐した筑豊本線の短絡線とオリオンプラザ。丸和のマークも今や懐かしい?この先に折尾駅鷹見口があった。短絡線上の鷹見口と名のついた改札だったが、折尾駅とは別物クラスの存在。乗り換えでは改札を抜け旧駅舎まで徒歩数分を歩かなければならなかった。折尾駅最大の難関。

難関とは言っても距離的な問題であって、本当の難関は縦横無尽な連絡通路。写真は2010年のもの。煉瓦と木造の梁に蛍光灯。こんな薄暗い通路を巡る必要があった。

「公共連絡通路」とある。あまり利用する機会がなかったので、当時のことは思い出せないが、このブレて画質の悪い写真が唯一当時の折尾駅の雰囲気を伝える写真となった。

こんな鉄道用地杭も残ってたけど、今はどうなっているのやら。

折尾隧道の銘板。開発により解体された車道の折尾隧道だが、その工事中に発見された銘板。案内によると1958年(昭和33年)の大改修時に埋め込まれたものと推測されている。

折尾駅の古き良き時代を象徴した堀川沿いの飲食街。色彩も大きさも統一しない各店の個性ある看板も昭和の雰囲気が続いていた。
これも再整備事業で失われた。奥には折尾駅舎。この景色を愛してやまない人も大勢いたが時代の流れには逆らえなかった。

折尾駅に向けて感謝の万歳三唱してるところ。すんません縁も薄いのに。白石書店も懐かしいな!

その日、最後に撮影した折尾駅と参加者の写真。後日工事の塀に飾られた。
写ってます。すんません縁も薄いのに。

解体が始まった駅舎とバス乗り場。2012年12月の写真。人の集うことのないバス乗り場が悲しすぎる。

切り取られた歩道橋。


ここからはそれからしばらく経った2017年(平成29年)の写真。旧折尾駅舎は2013年(平成25年)中に解体された。

折尾駅の立体交差、これこそが日本初の鉄道の立体交差で、折尾のシンボル的存在だった。もちろんこれのおかげで複雑な駅構造になってしまったのだが、失われてしまうとやはり残念。


下を通るのが筑豊本線で先に見えるのがまだ現役の1、2番ホーム。上を行くのが鹿児島本線で、綺麗な屋根が見えるのは高架化事業で新たに作られたホームで、こちらは切り替え済み。
筑豊本線は2001年(平成13年)の電化に伴い、福北ゆたか線と愛称が付けられた。

2017年に新設の高架ホームへと鹿児島本線が切り替えられた。駅舎は建設中で仮改札で営業中だった。

真新しいホームと解体される周辺施設。

その歴史を感じさせるのは、解体されるすごい量の赤煉瓦の山。先ほどの連絡通路などが入り組んでいた、

旧4、5番ホームと新ホーム

堀川沿いの飲食店の在りし日の姿。奥は解体された旧駅舎と、高架化された新ホーム。
この日は「オリオンピック」が開催されていて、堀川ではカヌーレースが。また見られる風景なのだろうか。

松本零士氏による未来の折尾駅と、「ありがとう折尾駅舎」のパネル。
2023年(令和5年)に亡くなったが、新駅舎の姿はご覧になられたことだろう。また逢う日までの約束は果たされたと思う。


時は流れ2025年。

新駅舎もすっかり街に馴染んだ。
右に見える高架は筑豊本線(福北ゆたか線)の新設されたホーム。写真右手が若松方面。筑豊本線のうち折尾から若松までは若松線と言う愛称で呼ばれている。
左手の高架は先行で利用開始されていた鹿児島本線ホーム。駅舎の奥でそれぞれの路線が一時並走する形になる。

筑豊本線を下から。駅舎の先、西側で鹿児島本線と並走すると、新しく作られたトンネルで南へと進路を変える。その後国道3号線の下を潜ったのち、もとの筑豊本線に接続する。折尾駅側のトンネル入り口は単線なのに、南側は複線だぞ…。
このトンネルへの切り替えが鉄道路線として大きな変化だった。
この移設により、駅を正面から入ると右手に筑豊本線のホーム、左手に鹿児島本線のホーム(小倉方面から直接筑豊本線に乗り入れる列車のホームも)となり、コンコース内で乗り換えが完了する利便性の高い駅となった。

ちなみに、だが駅近くの「堀川町公園」では最大7線の並走する線路が見られる。アツい…。

改札前の待合には旧駅舎から移設された装飾柱と円形の椅子が。良い色にお化粧直しされている。

タクシープールの脇には短い線路が。「日本初立体交差駅の地」として、かつてあった同じ場所にモニュメントとして設置された。再開発では何がどこにあったかわからなくなりがちなので、この展示はわかりやすくていい。

改札の先には床にラインが書かれているが、これも旧折尾駅の線路跡を再現した物。特別案内もないが粋な演出。「(旧)5番線」とか案内があったら逆に混乱するか。

写真はないが、ガラス床にし、その下にレールと敷石が一部再現されている場所もある。先ほどの屋外のレールの延長線上、筑豊本線の軌道跡だ。

高架下には飲食店やスーパー、ドラッグストアなど利用者に嬉しい「えきマチ1丁目」が開業している。

このように駅舎のある折尾駅北側エリアは利用者が便利で快適な街へとすっかり生まれ変わった。


南側は2025年現在の様子。

この様に整地作業が進められていて、まだ完成にはしばらくかかりそうだ。
ここには折尾駅南口として、バスターミナルが新設され、その周囲はマンションが立ち並ぶ計画だ。
ここが開業すれば副都心としての機能がますます発展し、北九州の西の玄関口としてより栄えることだろう。

旧折尾駅舎はこちらにあった。
ショベルカーの先、すっかりわからなくなってしまった…。

その大きさは日本最大とされる「ねじりまんぽ」は健在。折尾駅周辺は赤煉瓦の構造物が多くあったが、今現在そのままの形で残っているものはこれだけ。
この旧西鉄折尾駅煉瓦高架橋だが、その運命がまだはっきりしない。解体されるのか、はたまたそのまま保存されるのか、北九州市の正式なコメントは出ていない。計画地図ではここは”公園”とされているので、往年の歴史をそのまま刻んでもらいたい物だと強く願っている。

以前は盛り土となっていた場所は掘り起こされ、煉瓦橋梁の土の下だった部分が露出していた。

ねじりまんぽの延長線上の再生レンガのモニュメントもまだそのまま。これも工事の邪魔になるならとっくに解体されているだろうから、残る可能性も。その手前には折尾隧道の銘板も置かれている。

堀川も大掛かりな工事が行われている。完全な暗渠化されるのか、不明。
堀川沿いにあった飲食店街はすっかり解体されてしまった。

あの雰囲気はもう戻らない。

その飲食街と旧筑豊本線の跡地ではなにやら発掘調査が。井戸の様なものも見える。このあたりも調査が終われば更地となり、新たな道路や建物が立ち並ぶでしょう。

折尾駅周辺は20年以上の長きにわたっての再開発事業が進み、より魅力ある便利で住みやすい街へと生まれ変わり、なおこれからも進化してゆく。
そのなかで失われた遺産も多い。その歴史と趣のある景色の中で生活をしてきた人たちは、行き場のないノスタルジーをどこかに見出すはずだ。そのカケラはこの街の至る所に散らばっている。

スクラップアンドビルドは世の常だが、改めて綺麗になった折尾駅周辺を巡り、そこに集う人々の姿を見ていると、この新しい街は東西南北から訪れる人を優しく受け入れる、そんな昔と変わらぬクロスロードの寛容さを感じるのであった。

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Write by Taka

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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