キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産

特攻艇の島【蕪島】

time 2013/06/28

特攻艇の島【蕪島】

北九州の東端。


山が削られた採石場の荒々しい景色。


たくさんの漂着物のある周防灘に面した海岸沿いを行くと、見えて来る陸地と繋がった小さな島。



【蕪島(かぶらしま)】だ。
その名の通り野菜の”かぶ”の様な形をしているちいさな島だ。
自分的にはハリネズミかと思ったけど。

アクセスは容易ではなく、干潮の時になんとか近付けるこの島は知られざる過去がある。
時は溯り、太平洋戦争末期。

日本の敗戦色が色濃くなっても戦争と言う狂気は戦う事を止めなかった。
それは自らの命と引き換えに、帰りの燃料も持たず敵艦に体当たりする「神風特攻隊」や「人間魚雷回天」として開発され、実際に出撃し尊い命が消えた。
ここ北九州の地にもそんな悲しい戦争遺跡が残る事はあまり知られていない。

大日本帝国陸軍が配備しようとしたのは”四式肉薄攻撃艇”、秘匿呼称として”連絡艇”と呼ばれた小さなモーターボートだ。

通称を”マルレ”と呼ばれたこの艇は、ベニア製で自動車用のエンジンを積んだ簡素な物で、開発当時は特攻目的ではなく、水際の防衛を海軍ではなく陸軍が行うと言う発想から、本土に上陸してくる敵艦を後ろから奇襲する目的だったと言う。

戦争末期、いよいよ特攻艇の必要性を感じた陸軍は周防灘の小さな島に、マルレの基地を作り上げた。

それが今回訪れた【蕪島】だ。


北側からアクセスするも、近づくと岩場にその先を行くのを阻まれる。
無数のフナムシがわさわさいるけど、勇気を出して岩場を登る。
万が一この手にフナムシが走って来たら間違いなく海へ真っ逆さまだ。


臆病なフナムシは一斉に逃げるが、カメノテにひるむ。
カメノテは貝だからなんにもしないけど。

崖を登り少しずつ蕪島へと近づくと、ぽっかりと口を開けた洞窟が姿を現した。

蕪島の一歩手前にある洞窟だが、これがマルレを格納していたのか、あるいは別の目的であったかはわからないが、明らかに人の手によって掘られた洞窟だ。


奥行きは10m程だろうか?


比較的明るく写っているが、実際はもっと薄暗い。


水際にはコンクリートの構造物が。
付近の石を混ぜて作っている様だ。物資の少ない時代の特徴だ。


あまりに雑な作りも見られたが、これはもしかしたら当時の物じゃないかも。


内部から海を見てみる。
当時、これを特攻艇の基地と知ってこの洞窟を掘っていたのだろうか。
艇に乗る命令を与えられる人はここに来たのだろうか。
何を思ってここから海を見ていたのだろうか。


今となってはカニの住みかとなってしまっている。





潮が満ちて来たのと、これ以上の捜索は危険と判断した為、今回は蕪島の上陸は断念した。

蕪島には同じ様な洞窟と遺構が残ってる様なので、ルートを変え、機会を改めてまた行ってみたいと思う。


ここは実際に特攻艇基地として使われる事の無いまま終戦を迎えた。
しかし戦争が生んだ狂気は北九州は周防灘に面する平和な海岸に、今も、遺っている。


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*蕪島へは採石場の敷地を通る場合許可が必要な場合がありますのでお気をつけ下さい。危険箇所もあるので探索は自己責任で!

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。