2024/07/01
小倉北区長浜。
国道199号線を都心部から外れ、海岸線特有の工業地帯に変わろうとする通り沿いにそれは存在する。
【旧東京製綱小倉工場事務所棟(とうきょうせいこうこくらこうじょうじむしょとう)】だ。
1906年(明治39年)竣工のこの赤煉瓦造の建物、現在は金型部品メーカーの敷地内にあり、塀越しに建物を見る事は出来る物の、一般公開はされていない。
現在は使われておらず、ほぼ廃墟と化している。
それが今回、築100年を越えて、初めて一般公開されたのだ。
まずはこの【旧東京製綱事務所棟】の歴史について紐解いてみよう。
「製綱(せいこう)」の”こう”は「綱(つな)」、つまりワイヤーロープの事だ。
現在も続く【東京製綱】と言う会社は明治の中盤、筑豊地区での採炭が始まりワイヤーロープの需要が高まるにつれ、1906年(明治39年)に北九州に工場を新設する事となった。
これはもちろん筑豊地区に立地的に近いと言う事と、材料である鉄鋼が手に入りやすかったからなのかもしれない。
作られたワイヤーは炭坑でのトロッコの巻き上げや索道(さくどう)と呼ばれるロープウェイやリフトにも用いられ、その需要が大きかった事が容易に想像出来る。
その後、第一次世界大戦には軍需注文が増え、関東大震災の際には関東の工場が大打撃を受けたため、小倉工場に需要が集中し、この頃がこの工場のピークとなった。
エネルギーが石炭から石油へとシフトするにつれ、炭坑の需要が減少、2002年(平成14年)に工場は閉鎖され、現在はこの事務所棟と赤煉瓦の倉庫を残すのみだ。
今回公開されたのは、”北九州インスタレーションプロジェクト”主催のアートイベントの為だ。
各部屋にインスタレーションと呼ぶ現代芸術の作品が置かれていたが、アートとして一時的(テンポラリー)なものと言う性質もあるので、ここでは敢えて紹介はしない。
でもなかなか面白かったですよ。
前置きが長くなってしまったが、いよいよ内部へと足を踏み入れる。
左右非対称となる東向きの正面玄関。
ファサードには特徴的なバルコニーが突出している。
窓は閉鎖されているが、アイアンの手すりには小鳥の置物?このイベントの為に設置されたか定かではないが、以前は無かった。
イギリス積みの煉瓦が美しさを醸し出している。
入口を入ってすぐには洋館らしく、二階へと続く階段がある。
階段を登ると、壁がはがれ煉瓦が見える所に、先ほどのバルコニーへの閉鎖された窓があった。
「青年婦人部休憩室」と書かれたのは一番大きな部屋。
会議室だと言う。
すんごく緑!なのは窓ガラスに緑のフィルムを張り、緑色のランプを灯している為。アートだねぇ~。
左右対称だが、東西にマントルピース(暖炉)が設置されている。
東側
西側
フラッシュ炊いたよ、ホワイトバランスの狂うカメラマン泣かせな部屋だ!(笑)
外観を見てみると、ちゃんと煉瓦造の煙突がついてるのが解るよね。
この部屋の特徴は天井だ。
良い色をした木材で組まれた天井には、シャンデリア取り付け用の台座がある。
かつては迎賓館的な役割もあったのだろうか?華やかだった頃が偲ばれる。
一階に転がってたコレ。なんだろう?って思ったけど、外に出て気付いた。
ノブと呼ばれる屋根の飾り。
台風などで自然と落ちてしまったのだろうか。
絶対「ヤベッ」って思ったよね。
屋根には球状だけでなく、突起状の装飾もあり、デザイン的にこの建物を印象づけている。
北側にあった「路上観察学会的」増築部のなごり。
まぁ、そこだけでなく、一階窓の周りの鉄格子や二階の窓周りの意匠も注目。
事務所棟の他に、同時期に建築された倉庫棟が、現役の倉庫として利用されている。
これは道路に面している部分もあるので、触れる事も出来るよ。
外見だけにとらわれず、細部も刻んで来た歴史だ。
各所に長い年月の年輪が見え隠れする。
まるで時間が止まってしまったかの様だ。
いや、あるいは現在も時を刻んでいるのかもしれない。
現在は製鋼工場の事務所棟としての役目は終えているが、この地の変貌を見て来た【旧東京製綱小倉工場事務所棟】
都心から少し足を伸ばせば、明治よりの赤煉瓦の建物が現在も我々を迎えてくれるのだ。
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