キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産

地図から消えた煉瓦トンネル【旧椿隧道】

time 2013/05/02

地図から消えた煉瓦トンネル【旧椿隧道】

県道25号線。

通称門司行橋線と呼ばれる道路は、北九州市門司区を起点に築上町、もっと解りやすく言えば関門トンネルから航空自衛隊築城基地の辺りまでを結ぶ県道だ。

そもそも国道3号線が路面電車との併用軌道だった為、モータリゼーションの影響で自動車が増加、慢性化する渋滞を懸念して、国道3号線から国道10号までを真っ直ぐ
に抜けるバイパス的要素もあり整備された。

北九州の東を縦断する主要な道路であり、本州からの車や新門司ターミナル、苅田工業地帯へと抜ける自家用車や大型のトレーラーも行き交う。

地図を見れば解るが、特に下曽根エリアから門司港までは真っ直ぐに貫いていており、3つのトンネルを抜ける。

その中に門司区黒川(くろがわ)と柄杓田(ひしゃくだ)を結ぶ”椿トンネル(つばきトンネル)”がある。

上り線には1938年(昭和13年)竣工で「椿隧道(つばきずいどう)」、その後1997年(平成9年)に大幅な改修が行われ「椿トンネル」として名を変え生まれ変わった。
隧道→トンネルの事ね。
下り線には1998年(平成10年)竣工の「新椿トンネル」として新たに開通し、上下線が片側二車線それぞれ違うトンネルを潜る贅沢な仕様だ。
しかし、ここには地図に載らない3つ目のトンネルが存在する。
ホラー風味だな(汗)
上り線の「椿隧道」、現「椿トンネル」以前、そもそも縦貫する道すらなかった頃、トンネルではなく峠越えの道があった時代の話だ。
それは人がやってくるのを拒むように、藪の中へ姿を隠す。

【旧椿隧道(きゅうつばきずいどう)】だ。
ここでは同名で1938年(昭和13年)竣工の「椿隧道」も存在するため、便宜上「旧椿隧道」とする。
そもそも地図にも載っていないため、場所すら解らない!
しかし調べると、現「椿トンネル」の上部にそれは存在すると言う。

上り線のトンネルを抜けるとすぐ右側に細い測道が現れる。
それを登るとほどなく舗装路ではなくなり、山道となる。


この道がどこかへ続くかは解らないが、電力会社の鉄塔へのアクセスルートとしても使われている様だ。

今回はそちらではなく、ガードレール沿いに行く。
しかし時期は5月。


雑草が勢い良く伸びるには十分な季節。
道もない道を行くには“軽装とまともな思考”は置いてこないといけないのだ。
登山が趣味なTakaは概ね登山用装備で来たよ。

↑登山時の自撮りイメージ

大いなる興味と探究心、それに無駄な重装備はその後必要だったと思わされる事を、この時は知る由も無かった。
ほどなくして行く手をイバラに阻まれる。

文字通り、来る物を拒む様ないばらの道だ。
安全と思われたフェンス沿いは諦め、一旦山道を登る。


現在の「椿トンネル」の出口側だ。


薮の向こう側に何やら暗闇が見えた。

ここで「・・・帰ろうかな」と言う思考が。

だってひとりだよ?藪の中のトンネルだよ?

コワイんやもん。

でも前日にTwitterで「椿隧道行っちゃうよ~」的な事をつぶやいてしまった手前、いや、果てなき探究心が背中を押し急勾配を下る。

トレッキングポールが薮を切り開き不安定な足場のバランスを取り、登山靴が道無き道を強くグリップする。

買ったばかりのウェアにイバラが食い込むのを気にしつつ、下へ降りると平場に出る。

まさに現「椿トンネル」の上部だ。


振り返るとそこに目指した隧道が姿を現した。


【旧椿隧道】(黒川側)

赤煉瓦で坑口を組まれたそれは今までの困難な道のりを乗り越えて来た者に、程よい緊張感と感動を与えてくれた。


北側(黒川側)に位置する坑口は苔むしていて、何とも言えない雰囲気を醸し出す。


雨水がしみ出している様だが、煉瓦に損傷はほとんどなく、落書きやいたずらの跡も無い。


装飾的な要素は無く、イギリス積みの極めてシンプルな作りだ。
・・・
・・・
・・・

さて、帰ろうか。

いやまて、ここまで来たのだから反対側まで行こうじゃないか。
ビビるな、行け、お前には使命がある、と聞こえた気がした。
いや、聞こえてない、断じて。
下を通る車の音が響く。
大丈夫、薄暗いが向こうは見える。
ヘッドライトも持って来た。


思っていた程雨水は溜まっていない。
そもそも最近の物と思われるが、地盤がコンクリートで30cm程かさ上げされていた。


これがどういう意図のもとかは不明だが、通常通る人間がいない事は確かだ。


煉瓦作りの坑口は内側へ向かうとすぐに素掘りとなる。
柄杓田側に採石場がある位なので、内部も岩石なのだろうか?


詳しい資料が残っていないので断言はできないが、1922年(大正11年)に竣工されたと言う。
建設機械が発達していなかった時代の事だ、掘削は困難だったに違いない。


やはり坑口の手前より煉瓦作りとなっていて、柄杓田側へと出る。
延長は81m。


【旧椿隧道】(柄杓田側)

南に面した坑口は日当りが良いらしく、苔はほとんどない。

日光のせいかは解らないが、やや灰色がかった煉瓦色に変わっている意外は黒川側とデザインは変わらない。

しかしその寡黙な風貌はやはり言葉にできない緊張感を与える。



こちら側にも坑口の先には道らしい道はない。

山道で見かける”赤テープ”があった。

道しるべとして木に括り付ける物だが、ここへはそんな山歩きが趣味の人や、山菜でも取りに来るごく地元の人、あるいは我々の様な、”変人” 歴史ロマンを探求する人くらいしか来ないのだろう。


こちら側からは採石場が見えた。
聞こえるのは車の音と採石場の山を切り開く音、トンネル内を抜ける風の音。


北側へと戻るとまた南側の風景が現れる”世にも奇妙な物語”的エンドレスなトンネルでなくてよかった。
また苔むした坑口が現れた。

このトンネルには扁額(へんがく)とよばれる名称が書かれた板が無い。
「○○トンネル」とか「□□隧道」とか書かれたアレだ。

旧道を貫いていたと考えられるが、なんとも謎の多いトンネルである。

興味は尽きないが、後にする。
なんてたって、また薮をかき分け急勾配を滑落しないように登らなきゃいけないし!

さらに、


旧椿隧道のさらに上部には、明らかに人の手によって作られた切り通しがあった。

いったいどういうことだ???

「切り通し」
「旧椿隧道」
「椿トンネル」
の三重構造になっている??

これはさらに調査が必要だ。
謎が多い「旧椿隧道」
そもそも「旧椿隧道」の竣工が1922年(大正11年)だとしたら、僅か16年後の1938年(昭和13年)、現「椿トンネル」が開通している事になる。

現代だってトンネル工事自体難しい工事だ。
それを立て続けに2本も掘り、しかも旧道の方は廃道となった。

下関要塞に関する軍事施設かとも考えたが、下関要塞は1915年(大正4年)には全て廃止されている。

大陸に近い為温存されていたと言うが、その為??

曽根飛行場(旧北九州空港)は1944年(昭和19年)開港なので、それを見越して??

切り通しはちょんまげ時代のものだったり??

などといろいろ考察してみるのも近代化遺産巡りの醍醐味か。

人を拒むように存在する【旧椿隧道】

このまま眠らせておきたい気もするが、やはり本格的な調査を以てその歴史を深く知りたい気もする。

どちらにしても今現在、無言で語りかけてくれるのは薮の向こう側の寡黙な隧道、それ自身なのだ。

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コメント

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    すごいところにあるんですね!
    「わたしも行ってみた~い」と気軽に思っていましたが
    …絶対ムリ^_^;
    でも簡単に見に行けないからこそ、キレイな状態で残っているんでしょうね。写真のレンガもシンプルで美しいです!(素掘りの部分は…やっぱりちょっとコワいかも)
    最上部の切り通しも気になりますが…
    まずはお疲れ様でしたm(__)m

    by 空花(そらはな) €2013-05-03 04:25

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    ありがとうございます。
    この時期だからモジャってましたが、冬期ならもうちょっとアクセスしやすいんじゃないかと思います。
    おもしろいものでやはり好きな方がいるんでしょうね、うっすらと獣道が出来ていて、それを辿って行ったんですよ〜。
    このキレイな状態を90年も保てているのはやっぱり簡単には行けないからでしょうね。
    もしマトモな思考を振り払う事ができたら、ぜひとも見に行ってくださいね(笑)

    by Taka €2013-05-03 22:51

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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