2022/01/25

関門海峡の東の端。
たいまつを片手に海を見守る像がある。
清虚(せいきょ)像だ。
天保7年(1836年)大分県国見町出身の僧侶である清虚は、舟で高野山へ修道へ向かう途中、暗礁が多く難所であったこの地の人々を助けようと修行を志半ばにして下船した。
その後74歳でこの世を去るまで風雨の日も、嵐の夜もこの地で火を焚き続け、お経を唱えながら海の安全を願っていたという。
誰じゃ!”自由の女神”だと言うやつは!!
悔しかったら正面から顔を見てみろ!ちゃんとオッサン顔だぞっ
・・・まあまあ清虚さん、そう怒りなさるな。
あなたの立派な意志は今も引き継がれておりますぞ。
清虚の死から時は流れ、20数年。
死後も村人により火が灯され続けていたが、僧清虚の灯火は立派な建造物となり海を見守り始める。
【部崎灯台】(へさきとうだい)
1872年(明治5年)1月22日に初点灯した岬の小高い丘に建つ灯台だ。
明治政府のいわゆる” お雇い外国人”であったリチャード・ヘンリー・ブラントン技師による設計である。
ブラントンは日本に於ける”灯台の父”とも呼ばれており、
江戸幕府の大坂約定(大坂条約)で設置を約束し、明治政府へと受け継がれ建設された国内5カ所の灯台の一つだ。
近隣には山口の角島にある【角島灯台】もこのブラントンの設計であり、条約灯台の一つである。
↓角島灯台
↓部崎灯台
比べてみて解るように、丘の上に建ってるいるため、ちっちゃい印象だぞ。
それでもこのレンズからは閃光17海里(約32km)を照らすという。
建立当時は石油で照らしてたらしいので、もっと暗かったろうけど。
”東西南北”の書体がステキ。
弧を描く台座は石積み。白さが美しい。
その後、部崎潮流信号所が設置され大型の電光板で海の安全を今日も見守っている。
意外とキュートな建物なので、こいつも見逃すなっ。
部崎灯台へは車で行けるが、ちょこっとだけ徒歩にて登ります。
江戸の遥かより脈々と受け継がれてきた、何よりも強い意志という名の光。
灯台は日々海の安全を見守っているが、私たちはその歴史を知る事で、心に照らされる何かを見つけた気がした。
うん、綺麗にまとめたぞ。
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