2025/03/09
北九州市若松区
石峰山を中心に南側に洞海湾、北側を響灘に囲まれた若松半島は明治以降日本の近代化が進むにつれ、港が築かれ、鉄道が敷設され、その地の利を生かし筑豊で採掘された石炭を運び出す日本屈指の石炭積み出し港になった。
その賑わいは多くの人を呼び、街は栄え華やかな繁華街を形成した。
そこで時代に翻弄されながらも、若松の繁栄と賑わいの象徴でもあった店があった。
【キャバレー ベラミ】だ。
関連記事:若松の栄華の象徴【キャバレーベラミ】
この記事では、現存する【ベラミ山荘】で発見された資料に基づき執筆しています。記事内の写真につきましては使用可能との事で貴重な資料として紹介させていただきます。しかしその繁栄とは裏腹に写真や資料がほとんどなく、この記事では沿革を元に、個人的見解や想像、推測、SNSで頂いた証言などから考察し執筆しています。不確定なものも多いので予めご了承ください。
情報などありましたらコメント欄や公式SNSなどでご連絡いただけると嬉しいです。今後新たな資料があれば追記いたします。 Kitakyu Heritage Taka

ステージには多種多様な芸を持つタレントが日々入れ替わり、日本中のキャバレーを渡り歩いていたと言う。

その他、多くの従業員も有していた。
接客を担当するホステス、その身の回りで動き回るボーイ、厨房やバーテンダーなど多くの従業員がいたことは想像できる。
風俗営業店であるキャバレーと言う性質上、従業員の入れ替わりは激しかったのではないかと思う。
その従業員寮だった建物が高塔山の中腹に今も残っている。

【ベラミ山荘(ベラミ寮)】だ。
はっきりとした事はわからないが、1966年(昭和41年)ごろ新築されたとのこと。
昭和40年台はまさにベラミの最盛期で、従業員数もかなりの数だったのではないだろうか。

現在シェアオフィスとして利用されており、通常見学はできない。
しかし今回イベントのため一般公開されることとなった。
古物や古本をメインとした「こぶのいち」と言うイベントで、写真のテントはその出店者のもの。

建物は木造2階建。
写真では平家に見えるが、山の斜面を利用し、奥側半分に一階が存在する。
艶のあるタイルと緑色の瓦屋根が自然と調和していた。

写真の広場に面した窓が南側。
紹介するベラミ山荘は、長い歴史の上で修繕や改築、増築などが行われているはずなので、写っているものが必ずしも当時のものではないことをご了承いただきたい。

国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより一部トリミング・加工
1975年(昭和50年)の航空写真だが、画像右上に見える青い屋根がキャバレーベラミ。
左下の高塔山公園野外音楽堂から北へやや下った位置にある青い屋根がベラミ山荘だ。
現在の写真とは屋根の色が違うので、後年葺き替えたのだろう。この時代の航空写真を見ると青い屋根が多いので、流行だったのかもしれない。

麓のベラミからは高低差こそあるものの、徒歩で15分くらいの距離。
ここまで徒歩で行き来していたのか、それとも車で送迎があったのかはわからない。

野外音楽堂の裏に通じる道からベラミ山荘の敷地内に入れる。
敷地内は未舗装だが、平地の広場となっていて、車も十分入れるスペースがある。

コンクリート製の立派な車庫もあり、その上部には謎の彫刻が…。

手すりもあり、上部も何かに利用されていたようだ。

広場の奥には掲揚台がふたつ。

崖には岩が祀られていた。

見晴らしは良いが、ベラミが見えていたかどうかは不明。もしかしたら当時は草木も今より高くなく、北の窓から青い屋根が見えていたのかもしれない。

そもそもこの寮が誰を対象にしていたかも疑問が残る。
男子寮なのか、女子寮なのか、それとも混合?
こう言う夜の店では従業員同士の恋愛は御法度。男女混合寮…とは考えにくいかも。

屋内は昭和の色が濃い。
廊下を挟んで北側に部屋が連なっており、この一室一室に従業員が生活していたのだろう。
鴨居は低く、リズミカルに柄の入った内壁のすりガラスが部屋の奥の北側の窓から採光している。典型的な古い木造アパートの雰囲気。フォークソングが聞こえてきそうな、と言ってしまうとあまりにステレオタイプか。

柄の入った板ガラスは数種類が確認できた。これまた昭和チック。
余談だが調べると写真の窓の上部の模様は「からたち」下部は「かるた」と言う商品名らしい。
どちらも昭和40年ごろ製造されていたとのこと。ベラミ山荘の推定建造年と重なる。

艶のある廊下のフローリングや造作された手すりなどは丁寧で当時の大工さんの力量を感じた。

廊下からは一階に降りる階段があったが、立ち入り禁止でその様子は分からず。

シェアオフィスということで部屋はリノベーションされ綺麗。窓の外の眺めがわかるだろうか?
襖こそ取り外されていたが押し入れのようなスペースもあり、フローリング張りだが、当時としては畳張りだったのでは?と思わせる作りだった。
低い鴨居に頭をぶつけてしまったが、仕切りがあり2室の間取りだったのかも。一人部屋だったのか相部屋だったのかはわからない。
窓は北側を向いている。日当たりに関しては不利な条件だが、山の斜面に建ち、遮るものがないので明るい印象だった。

個人部屋を廊下で挟んであるのは大広間。

奥には床の間もありこれまた典型的な日本家屋の印象。
生活の中で憩いの共用空間だったのだろうか。

広間から南側は庭を見渡せる大きなガラス張りのスペース。
そこからはテラスにも出られる。




バーカウンターも。
板張りの壁やシャンデリアもどこか懐かしい。古いデパートや結婚式場で見たような。

従業員部屋とは一味違う部屋には柄のあるカーペットが敷かれていた。
どちらかといえば位の高い人の部屋だったのかも。
イベントではこの部屋に展示物が掲げられていた。


10年ほど前に、小さな箱が見つかり、その中から大量のブロマイドや紙資料が出てきたと言う。
タレントを抱えるプロダクションからの売り込みの宣材写真や、手紙等だ。
展示物に関しては、若松の栄華の象徴【キャバレーベラミ】で紹介している。
◇◇◇
ベラミ山荘自体は特別派手だとか、洗練されている印象はなく、「昭和だなあ」と言う遠い記憶をくすぐるようなノスタルジーがあった。
ここにどう言った人々が生活していたかは知り得ないが、仕事を終え、華やかな世界であるキャバレーで見せる顔とは違う表情で一息ついていた場所に、自分が今足を踏み入れていることに不思議な感覚を覚えた。
建物自体は確かに地味であるが、このベラミ山荘の最大の特徴は庭にあった。

塔、である。
正直これを何と呼んでいいのか難しい。細部を見てゆくとなお難しい。
当時何かしらの呼び名はあっただろうが、それは定かでない。
一階から見ていこう。

鳥かご、である。





鳥かご…つまり鳥を飼う場所である。
確かに隅々をみると、脳内の動物園の映像と重ねて鳥を飼う施設だと理解ができる。
今でこそ開放的ではあるが、もう少し小さな格子があったのかもしれない。
ベラミの華やかさを考えると、日本で見られないような色とりどりの鳥が観賞用として飼われていたのだろうか。
正直、にわとりも居そうな雰囲気ではあったが、実際に口から水が出ていたと思われる獅子の水栓など豪華な装飾も。
シュールにも見えてしまうが、当時としては贅沢な設備だったのだろうか。
従業員寮にこんなものを作るとは、ある意味福利厚生の極み。


2階へは鳥かごの脇からの階段か、山の傾斜のある上部からもアクセス可能。

不釣り合いながらそこそこ立派な玄関扉がある全面ガラス張りの小部屋。
老朽化のため近づく事はできなかったが、囲炉裏?があるとの証言も。
ここからの見晴らしもさぞ良かったはずだから、こんなところで皆んなで囲炉裏を囲めばそれは良い気分だったことだろう。
居心地は良さそうだ。

3階へ続く階段もあるが、展望スペースだったのだろうか。

4重の屋根を持つ部分をよく見ると、鉄で組まれていることがわかる。

伝統的な寺院のそれ(っぽい)
一部木材も見えるが、ほとんどか鋼材を溶接して作られている。
柱や梁は鉄の角材だし、屋根は鉄板。不思議な模様に切り出しているのも鉄板。
よくみると腐食し損失している箇所もあるが、ほぼ放置状態で数十年、その姿をかろうじて保っていられるのは鋼材だったためと言っていいだろう。木造であればきっととうに崩壊している。

ツッコミどころ、と言えばたしかにそうだが、従業員寮にこのようなゴージャスな塔が建てられるとは他に類を見ない。

山の中腹に建てられているため、その高低差を生かした作りとなっている。

池や回遊性のある庭園はやはり日本文化の様相。舶来のキャバレーの従業員といえども、ひとたび店を離れれば落ち着くのはこう言ったものだった時代なのかもしれない。

建物の屋根につく大きなライトは庭を向いており、夜間でも従業員のために庭園を照らしていたのだろう。

高塔山の北側、響灘を望む【ベラミ山荘】
キャバレー文化の繁栄と衰退、若松の歴史。
人の記憶が刻みこまれているようなそんな風景だった。
Kitakyu Heritage
Write by Taka
関連記事:若松の栄華の象徴【キャバレーベラミ】
コメント
[…] エネルギー革命が起こり石炭産業が衰退してゆくと、日本一とも謳われた若松の石炭積出港は徐々にその活気を失っていった。人が去ってゆく街。華やかで隆盛を極めたキャバレーベラミも、昭和50年台後半には業績が悪化。この頃より小規模でカジュアルなキャバクラの出現や、カラオケなどの新しい娯楽が生まれ、いささか古くさくなってきたキャバレーは日本各地から姿を消していった。昭和のカルチャーとしてその華やかさから多くの人々を惹きつけたキャバレー。若松のベラミもまた時代に翻弄され、営業を終えた時期は定かではないが、1989年(平成元年)に会社は解散している。その後建物がいつまで残っていたかはわからないが、若松で当時を知る方々は口を揃えて「懐かしい」と言う。それほど若松の街では印象的で、かつ華やかさの象徴だったキャバレーベラミ。見た事のないのない世界、そしてもう見ることのない景色だとわかっていても、その魅力と人々を惹きつける何かをキャバレーベラミには感じずにはいられないのだ。Kitakyu HeritageWrite by Taka関連記事:キャバレーベラミの従業員寮【ベラミ山荘】 […]
by キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産 2025-03-20 22:38