2024/07/01
発掘された初代門司駅遺構【遺跡編】
初代門司駅遺構【土木技術編】
2023年(令和5年)に門司区の工事現場で発掘された、1891年(明治24年)に開業した初代門司駅の遺構。
北九州市による発掘調査が行われたが、北九州市立埋蔵文化財センターではその速報展として「旧門司駅舎跡の発掘調査成果ー古代〜近世門司港の片鱗と初代門司駅・近代門司港の形成ー」と題し、発掘された遺物などの展示があった。
【発掘遺物編】では初代門司駅遺跡より発掘された品々を、この展示より紹介する。
なお、展示物の撮影許可は届出済み。
まずは煉瓦。
明治時代に多く建てられた煉瓦建築は北九州市内でもたくさん見ることができる。
過去記事:心を潤す【旧帝国麦酒醸造棟】(門司赤煉瓦プレイス)
過去記事:せせらぎと赤煉瓦の橋【九州鉄道茶屋町橋梁】
過去記事:歴史を撚る【旧東京製綱小倉工場事務所棟】
大型の建築や鉄道関係でも例は多い。
それまで木造建築が一般的だった日本の建築技術が文明開化で一気に西洋の文化が取り入れられた。
初代門司駅遺構でも例外でなく、煉瓦の構造物が多数出土された。
注目したいのは使用された煉瓦に記された刻印だ。
煉瓦には製造された産地(煉瓦工場)特有の模様が付けられることがある。
【刻印煉瓦】と呼ばれることがあるが、初代門司駅遺構では数種類の刻印煉瓦が出土された。
過去記事:刻印煉瓦と【矢筈堡塁】
刻印には実線や波線状のもの、アスタリスクマークの様な模様など複数の刻印があり、その出所が不明なものも多いが、それだけ多くの数が必要とされた証拠だろう。
輸入品ではなく国内で製造されたものという見方が強いが、相当数の煉瓦が各地よりこの地へ集められたのだ。
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続いては線路関係。建築材以外で鉄道色の強いものが出土されたのは嬉しいところ。
レールは明治から大正にかけてのものとの説明。輸入品かと推測するが、その説明はなかった。
1901年(明治34年)に八幡製鐵所がレールの生産を始めているが、明治期には輸入の割合も多かった。
レール自体に製造会社名や製造年が刻印されているものもあるが、それが確認できなかったのだろう。
犬釘の刺さったままの枕木は、当時の人の営みが感じられる。
犬釘とは枕木にレールを固定するための釘で、犬の頭の様な頭部が特徴。
ボルトはねじピッチが大きいので、現代のコンクリート用ボルトに似ている。
石炭やその燃え殻も多数出土されている。石炭滓を捨てる場所もあった。
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記念銘板。アメリカン・ブリッジ社製。『NEW YORK U.S.A.1912』の文字が確認できる。
1912年(大正元年)は現位置に駅舎が移転する2年前。
アメリカン・ブリッジ社はその名の通り橋を作る会社だった。
この銘板が何に対して掛けられていたのかは不明。憶測だが転車台(ターンテーブル)に取り付けられていたのではないだろうか?国内でも同様の銘板が、同社製の転車台に取り付けられている事例があるので可能性は大きいかと。
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碍子類。
碍子(がいし)とは電線を電柱などに固定する際、絶縁体として使用するものだ。
1960年代のものなので比較的新しい。鹿児島本線門司港~久留米間の電化が1961年(昭和36年)に行われているが、その頃のものか。
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続いては食器類。明治・大正のものとされる。
鉄道関係のもので、レールを9つ輪にした意匠は九州鉄道の社章。
「工」のマークが確認できる小腕。
参考過去記事;「工」の杭の話
土瓶のかけら。陶器製で「汽車土瓶」と表記されているが、今で言うならば駅弁のお供のお茶のペットボトルといったところか。ほぼ形の残っているものも展示されていたが写真を撮り忘れていた。
重い汽車土瓶は昭和期に、ポリエチレン製(ポリ茶瓶と言うらしい)と変わっていった。細ーい針金の持ち手と蓋がコップ代わりだった。
私の世代ではそっちが出土されていたらもっと突き刺さる(笑)
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土管。
磁気の便器。
見ての通り、美しい絵が描かれた瀬戸産とされる便器。
1911年(明治44年)に明治天皇が門司駅からお召し列車に乗車することが決まった際に、増築されたとする場所より出土。豪華な造りだったっと推測される。
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それよりはるか昔の時代のものも出土した。
初代門司駅遺構として明治期の出土品以外にも、古墳時代からの土器、陶磁器などが見つかった。
埋め立てられる前、門司築港以前の泥の層から出土している。
旧海岸線には護岸石垣が築かれていたと言うが、埋め立てに伴いほとんどが壊されたと言う。その海岸線付近から見つかった。
古くは6世紀、古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸と日本の歴史が凝縮されている。それだけ長きにわたってここ門司港に人の営みが続いていたと言う証だろう。
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最後に最も新しい時代の出土品。もうこの辺りになるとただのゴミ…に思ってしまいがちだが、これも立派な遺物である。
古いものこそロマンを感じてしまうが、わずか30年ほど前、風に飛ばされたゴミがこうして時を超えて出土された。これもまた歴史の一ページとは言えないだろうか。
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初代門司駅遺構では紹介した以外にもたくさんの遺物が出土されている。
我々の様な素人ではその価値について漠然と「貴重なものだ!」「価値がある!」としか思えていないのが実情だろう。実際わたしも専門知識もない、考古学的な観点からも見ることができないので、客観的に、あるいは無責任に「古いものが出てきてすごいなぁ」と思ってしまう。
しかしこれが無関心な立場であればそれすら思わない。
我が街の歴史を無関心で終わらせないためにも、これを見て今一度考えて欲しいと思いここで紹介した。
発掘された初代門司駅遺構【遺跡編】
初代門司駅遺構【土木技術編】
「旧門司駅舎跡の発掘調査成果ー古代〜近世門司港の片鱗と初代門司駅・近代門司港の形成ー」
北九州市立埋蔵文化財センター速報展より
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Write by Taka
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コメント
[…] 初代門司駅遺構【遺跡編】初代門司駅遺構【発掘遺物編】2023年(令和5年)、北九州市門司区で発掘された明治期からの初代門司駅遺構。その発見は土木建築の歴史においても貴重なものだった。土木の分野も用語も専門的な事はわからないので、自分なりに理解した範囲での紹介になるのでご了承願いたい。できる限り分かりやすい言葉を使う。下記画像だが、Googleマップの航空写真での発掘箇所だ。初代門司駅遺構【遺跡編】で紹介した機関車庫の基礎が確認できるが、このさらに下に今回門司港の歴史を紐解くにあたっての貴重な土木遺産が見つかった。 […]
by キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産 2024-07-01 12:11
[…] そのコンクリートと煉瓦の間に何やら太い丸太の様なものが垂直に立っている。スマホカメラでなんとかズームしてみても木材で間違いない。よく見ると碍子(がいし)の様なものも埋まっている?この工事は遺跡の発掘調査的ではなく、複合公共施設建設に伴う附帯工事だ。ここは旧駅舎のあった場所に掛かっている。煉瓦遺構が出土しているが、現状で発掘調査は行われないとの事。土木建築においてスクラップアンドビルドは常のもの。この遺跡は、門司港の歴史において相当に重要視できる発見だったことがわかる。100年を土の下で眠ってきた遺構はこれを見た現代人に何を物語るのだろうか。初代門司駅遺構【土木技術編】初代門司駅遺構【発掘遺物編】 […]
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