2024/07/01
国道3号線。
スペースシャトル”ディスカバリー”や、でっかい観覧車、〔1901〕が誇らしい製鉄高炉跡、空を駆ける都市高速に大型商業施設・・・
思わず見上げちゃう事も多い、八幡東区東田エリア。
ここには大正時代からこの地を見つめる、ちょこんと小さな建物が遺る。
上ばっかり見てると見逃しちゃうぞ。
【旧百三十銀行八幡支店(きゅうひゃくさんじゅうぎんこうやはたしてん)】だ。
現在は貸しギャラリーとして、年間を通じて展示会やコンサートなどが行われている。
そもそもはその名の通り、銀行であった。
”百三十”と言う数字は、明治期に国立銀行条例に基づいて開設された金融機関で、国立銀行として開設された153の内の130番目にあたる銀行だ。
設立順に名乗っているのだが、十九銀行と六十三銀行が合併して八十二銀行になっちゃったりしてなんとも紛らわしいのも存在する。足し算だな。
竣工は1915年(大正4年)、設計は“東京駅を設計した”
【辰野金吾(たつのきんご)】1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年(大正8年)3月25日だ。
江戸時代産まれだよ!
一見煉瓦造に見えるが、これはタイル状に貼られた装飾煉瓦で、実際は鉄筋コンクリート造。
戦後の復興事業で昭和26年(1951)に現在の場所に曳家(ひきや)されてきたと言う。
この形のまま80mも移動したんだって!
内部は銀行建築らしく、吹き抜けの高い天井が特徴。
平成4年度に改修をしているが、竣工当時の雰囲気は細部に感じる事が出来る。
梁の装飾
子供が「カエルっぽい!」と言う大黒柱。
エントランス
外観を見てみよう。
ファサード
鍵穴の中に星、その下に神道で言う所の紙垂(しで)の様な物があるマーク。
これが銀行のエンブレムであったかどうかは解らなかった。
また、左右に施された自然石の様な装飾は、小石を混ぜたコンクリートを塗った後、乾かないうちに水で表面だけを流し小石を露出させることにより自然石のテクスチャを表現した「洗出し」と言う施行方法を用いた物だ。
小口面で施されたタイル。
細かい所にこだわりを感じられる。
後に建てられたものだろうか。屋上の小屋は神社を祀ってる?
裏口の庇には瓦屋根。これも竣工当時にあったものかは解らない。
ぱっと見、左右対称であるがよく観察すると、写真右手の窓3列は吹き抜けで、左手2列をよく見ると、1階と2階であることが解る。
窓の鉄格子は後に付けられた様だ。
辰野金吾のこだわりを感じられるこの建築だが、当時を考えるとスゴい。
この銀行が建つ前年、1914年(大正3年)に東京駅が竣工している。
国家的プロジェクトだった東京駅を抱えながら、地方の小さな銀行建築も手がけていたと言う事だ。
先ほど敢えて“東京駅を設計した”と強調させてもらったが、彼の建築はそれだけではなく、日本各地に多く存在していた。
「名前は知らなくとも東京駅を設計した・・・」と表現される事もあるが、飛行機はもちろん鉄道すら発達していなかった時代に、これだけの建築を手がけたと言う事実には感服するほかない。
近隣にはこの他にも、旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)や、同じく旧百三十銀行の行橋支店、佐賀は武雄温泉の楼門も彼の設計だ。
武士の家系に生まれながらも、時代に逆らう事なく生涯を建築に捧げた、日本の近代建築を語る上で欠かす事の出来ない存在、辰野金吾。
小さなこの【旧百三十銀行八幡支店】にも彼の息吹が今なお感じられる。
より大きな地図で 北九州近代化遺産 を表示