キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産

北九州の水道のはじまりどころ【小森江貯水池】

time 2014/06/01


北九州市門司区小森江(こもりえ)
風師山・矢筈山の麓に位置する「小森江子供のもり公園」は、みどり豊かな広い憩いの場だ。
【矢筈堡塁】へと向かう登山道の途中にあるこの公園は、草スライダーなどがあり、休日ともなれば子供たちの声がこだまする。
のどかな緑の景色に佇むのはなんと、巨大な赤煉瓦の塔だった。

【小森江貯水池取水塔(こもりえちょすいち しゅすいとう)】だ。
取水塔、とは文字通り水を取る塔。


しかし見る限り、貯水池とは言っても下部には小さな池があるだけでとてもこんな大きな設備が必要とは思えない。

それもそのはず、この塔はかつてはそのほとんどが水の中にあったのだ。
ここは1973年(昭和48年)に廃止された【小森江貯水池(こもりえちょすいち)】跡だ。

この公園を高い所から見ると、大きな窪地になっているのがわかる。
さきほどの草スライダーも実はダムの淵を利用した物だったのだ。


海側を見ると綺麗に草で被われているが、ここがダムの堰堤だった事がよくわかる。
この堰堤は映画「おっぱいバレー」のロケでも使われているぞ!
竣工は1923年(大正12年)。


1911年(明治44年)に北九州で初めて水道が通った。
それを担ったのが【小森江浄水場(こもりえじょうすいじょう)】で、この貯水池跡から少し下流にある。

草ぼうぼうだが、取り壊される事無くただただ佇む。


こちらも貯水池とともに現在はその役目を終えているが、かつては浄水がどれほど重要だったか。

そもそも土地柄水の利に恵まれなかった門司地区だが、国際港としての門司港の発展、鈴木商店の大里地区の開発による急激な人口増加などにより、水道は必須となった。

さらには不衛生な水による伝染病の流行もあり、浄水は必要に迫られた。

そこで1909年(明治42年)小倉の福智貯水池、門司の小森江浄水場と建設が始まった。

福智貯水池は現在は鱒渕ダムの一部となっているが、そこから延長23kmもの導水管を通り、この小森江浄水場まで運ばれ、水道水として利用された。

さらなる水道需要が高まるにつれ、新たな水源の確保が必要となった際に、福智貯水池と同じく紫川上流の案も出たが、財政上の都合で廃案。

そこで白羽の矢が立ったのが、浄水場から山側に300mほど登った地点の【小森江貯水池】だった。



1923年(大正12年)に竣工すると、「門司のおいしい水」として安定した水道を送る事が可能になり、その水は自然と感染病を鎮め、船舶の飲料として詰め込まれ”赤道を越えても腐らない”と評判を得たそうだ。


さて、この美しき赤煉瓦造の取水塔。

上部には鉄柵とハシゴが遺っていて、よくよく見てみるとなんとなくだが、色の違いから当時の水位を思い知る事が出来る。
水があった頃なんて想像もできないよーっと思っていたけど、同じく門司区内の【大久保貯水池】に行けば容易だった。

ほらそっくり!

1925年(大正14年)、小森江貯水池とほぼ同時期に作られた鈴木商店の事業のひとつである【大里製糖】の工業用水の為に作られた。
方や公共事業、方や民間企業の設備だが非常に似ているのが興味深い。
あるいは技師が同じなのかもしれないし、当時の財閥の影響力も計り知れない。


嘘をつくと伸びるかも

塔に見られるぴょこっと出たパイプから取水するのだろうが、大久保貯水池の取水塔にも同じ様なパイプがあり、水位の低い時期に見る事が出来る。


かつての堰堤を下流側に下ってみると現れるのが暗渠の坑口だ。

遊具のある小さな公園の傍らにあるのは、取水塔から取り入れた水の出口。
【小森江貯水池取水暗渠(こもりえちょすいちしゅすいあんきょ)】だ。
もちろん今は使われてないが、かつてはここを通り、下流の小森江浄水場まで自然流下で水が運ばれていた。


坑口自体はフェンスにて閉鎖されているが、中を覗けば煉瓦のアーチが。
坑口も含めると3連のアーチが大中小と並んでいる面白い作りだ。


要石。


イギリス積みだ。


コンクリートの洗い出しだろうか。


北九州ではおなじみの鉱滓煉瓦も使われていた。


扁額には右から読むのだろうけど、○寒泉?・・・?読めん(汗)

きっとたいそう立派な言葉に違いない。


北九州の水道の始まりどころ【小森江浄水場】と【小森江貯水池】
蛇口を捻ればとめどなく出て来る水に、今一度感謝の気持ちを。

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Write by  “Taka”

コメント

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    確かにこの浄水場が稼働していた記憶があります。頂吉の貯水池
    (門司ではこう言われていました)の水はこの浄水場に来ていたんですね。二つが私のなかで繋がりました。以前の門司の水道水はとても美味しかったですよ。
    小森江貯水池は現在の光景とは全く違って、水が満々と貯水されていました。堰堤の石垣の隙間には沼エビ?がいっぱいいました。
    ブラックバス、ブルーギルに喰われてアッというまに姿が見えなくなりましたが・・・。貯水池の下方の住民の方たちが「堰堤の強度に不安がある」ということで減水したのではなかったかな・・・?

    by ひげおやじ €2017-03-12 20:25

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    コメントありがとうございます。
    「二つが私のなかで繋がりました」と言うお言葉、非常に嬉しいです。
    歴史や人の記憶は点であることが多く、その点が別の点と結びつくことこそ、私の思う歴史の紐解きであります。
    映画のロケ地でも使われるなど趣のある風景ですが、私の見たことのない時代には現役として稼働していたのですね。
    住民の意見で減衰したというのは興味深いですね。
    私も廃止の理由までは調べていませんでした。
    まだまだ知りたいことがたくさんありますね!

    by Taka €2017-03-12 22:27

  • SECRET: 0
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    記憶の中にメモっていたものが、ある日突然、繋がりあったときは本当に面白いよね。 意外さに驚くこともある。
    リンゴとペンだって繋がることがあるし・・・。

    by ひげおやじ €2017-03-15 22:14

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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