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汽笛を鳴らし勾配に臨め!【呼野のスイッチバック】

time 2014/03/30

汽笛を鳴らし勾配に臨め!【呼野のスイッチバック】

北九州市小倉南区呼野(よぶの)

広大なカルストを讃える平尾台(ひらおだい)と福智山系の谷にあたる地域だ。

谷間を縫うように走る路線は【日田彦山線(ひたひこさんせん)】

筑豊地区の石炭や石灰石を運ぶために東小倉ー上添田間が1915年(大正4年)に小倉鉄道添田線として開業した。

その後鉄道会社や路線名を変えながら、現在の日田彦山線として北九州市小倉南区城野(じょうの)駅を起点に、田川を経由し、久大本線と接続する大分県日田市の夜明(よあけ)駅までの単線非電化区間だ。

その長閑で歴史のある車窓は、まさにローカル線の風情を持つ素敵な路線だ。
個人的には観光SLの運行を期待したい!
訪れたのは平尾台の石灰石を産出する、鉱山の麓に位置するのが日田彦山線【呼野駅】だ。

「よぶの」って書いてるのよ。

利用客は減少の一途を辿り、現在の乗車人員は一日平均100人にも満たない、駅舎も無い無人駅だ。

上下線共に1時間に1~2本程度の列車はディーゼル車。

静かな谷間にディーゼルエンジンのパワフルな唸りをあげて列車がやってきまキハ。

非電化区間である事と、勾配の多い路線なのでディーゼル車が活躍しているよ。
石炭採掘が盛んだった頃には、長い長い貨車を従えた貨物列車が行き交っていたと言う。
ディーゼル車以前は蒸気機関車がドラフト音を高らかに走っていたと思うと感慨深い。
ドラフト音=シュシュポッポって音


しかしながら、呼野駅に一旦停車した蒸気機関車は、次の採銅所(さいどうしょ)駅へ向かう上り勾配に臨むには重くパワーが足りないため、途中停止してしまう恐れがあった。

呼野駅を停止せず通過する場合には、石原町駅方面よりの十分な助走がある為、難なく登り切る事が出来たのだが。
それを回避する為に作られたのがここ呼野駅に遺る福岡県唯一の設備だ。


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航空写真を見ると、西側山手にカーブを描く短い築堤が確認出来る。
さぁ、行ってみましょう。

築堤の法面を登ってみると、雑草が茂りながらも、その緩やかなカーブから連想出来るもの。
よくよく見ると・・・

レールが遺ってる!

そう、ここは「かつて」線路があった。
1983年(昭和58年)に廃止された【呼野のスイッチバック】だ。

スイッチバックとは、そもそも急勾配に弱い列車が傾斜を登る為に設置され、前進・後退を繰り返しながらつづら折りに登って行く機構を指す。

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↑有名な熊本は豊肥本線、立野のスイッチバック。

地図上で見るとそれが勾配だとは解りづらいが、地図左手熊本方面より侵入して来た列車は、立野駅で一旦停車。
そこから後進にて左手上部へと登る。

登り切った所で一旦停止し、方向を変え前進して右手上部大分方面へと走ってゆく。
ざっくりとした説明だけど解ってもらえた??

ここ呼野駅にはそんなつづら折りの様相ではないが、確かにスイッチバック線があったのだ。

小倉方面より走って来た蒸気機関車は、呼野駅のスイッチバック線専用ホームに一旦停車する。

そしてこの築堤(引き上げ線)を後進にてゆっくり登る。

端部まで登るとそこから加速して全速前進、金辺トンネル方面の上り勾配に臨む、と言う訳だ。

100m進むに1m~1.7m登る程度の勾配であったと言うが、そもそも勾配に弱い鉄道と、重い貨車を引いた列車には厳しい物だったのだ。

山手側端部のレールの上に枕木が置かれていてその先は森となっているので、ここがスイッチバック線の行き止まり。

端部より呼野駅側に進んで行くと、レールが途切れた。

どうやらここから呼野駅方面にはレールは遺ってない様だ。
雑草が茂る季節を避けての初春の訪問だったが、ご覧のように半分以上埋もれている状態だった。
しかし、見える範囲でよくよく観察してみるといろんな発見があった。


レールを枕木に固定する為の”犬釘(いぬくぎ)”


連結ボルトもたまりませんな!


枕木の真ん中に打たれた表示クギと呼ばれる刻印付きの釘。

木製枕木の管理の為に、刻印で製造年やなんかが解るようになってるらしいが、「5S」と読めるこの刻印の意味は解らなかった。でも珍しい物だね。
そんで、今回ビックリしたモノ。


「KTK」と刻印されている。
恐らくこれはこのレールを発注した事業者が「九州鉄道」あるいは「小倉鉄道」である事を物語っている。
Kyusyu Tetsudou Kabushikigaisya”あるいは””Kokura Tetsudou Kabushikigaisya”の頭文字

この路線を九州鉄道が管轄だった時期が1901年(明治34年)から鉄道国有化の1907年(明治40年)と考えると、明治期のレール!??

小倉鉄道であったと仮定すると1915年(大正4年)から1943年(昭和18年)が管轄。
このスイッチバック線が1983年(昭和58年)に廃止されるまで交換されないまま使われていたのだろうか?

藪の中をもっとじっくり調べれば新たな発見もありそうだが・・・うーん、どうなんだろう。

列車が走っていた名残はこの右カーブにもある。


レールの写真下側が丸くなっているのが解るだろうか?

実際に触れてみるとよく解るのだが、右カーブの線路の左側レールの内側(こんな言い方で解るんかい(笑))

車輪の脱線防止のフランジが遠心力で触れる部分が削れて丸くなっている。
触れて感じる事が出来るかつて列車が走った名残だ。


呼野駅側にさらに進むと笹薮に阻まれこれ以上は進めなくなった。
日田彦山線が見えるが、大きく逸れた端部から接続地点まで大分近くなって来た。
一旦法面を降りてみよう。


築堤のある所暗渠あり。
立派な石積みの水路だ!


ちょうど先ほどのレールの途切れる位置はこんな高さのある石積みの鉄橋だった。
この先には田畑と神社があり、その為に作られたのだろう。


立派な煉瓦アーチも現存する。


水路と歩道の細いトンネルだ。


これは日田彦山線と共用しているため長ーいぞ。


途中不自然な煉瓦の継ぎ目がある。

日田彦山線は現在も単線だが、敷設時は複線を想定して作られていたのは有名な話。
もしかして後から継ぎ足したのだろうか?詳細は不明。


誰だい?犬釘こんな所に刺した子は!


さて、ぐるりと回って、先ほどの築堤上の笹薮の反対側に出てみる。


本線との高低差もなくなり、接続地点が近くなっているのが解る。


先には呼野駅。左手がかつてのスイッチバック線専用ホーム跡。


線路跡は桜並木になっている。



バラストと信号かなにかの基礎が遺っていた。

このスイッチバック線を蒸気機関車がいざ進めと迫って来ていたのだ。


最後に呼野駅。


現役ホームの傍らには長らく使われていなさそうな留置線があり、さらに写真右手にあるレールの無い空き地がスイッチバック専用ホーム跡だ。


コンクリート製のホーム自体は1960年(昭和35年)12月の竣工の様だ。
蒸気機関車が廃止され、スイッチバックを必要としないパワフルなディーゼル車が台頭し始める頃には、筑豊の炭田も閉山され、かつては貨車を長く従えた貨物列車もすっかり短くなってしまった。
晩年は一部の列車のみがスイッチバック線に入線していて、ほとんどは呼野駅に停車した後、そのまま採銅所方面へと走って行っていた。
そしてスイッチバック線は1983年(昭和58年)その役目を終える。

かつての鉄道運行の難所は、今や昔。
今日も轟音を響かせながらディーゼル車が走って行くのだ。


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コメント

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    私が行ったのはもう7年前になりますが、あまり状況は変わってないようですね。私の場合、レールがあったことに興奮してそれだけでお腹いっぱいになっていましたが(笑)、細かく探索されていますね!素晴らしいです。私は意外と細かい所を見落としたりしてるので(汗)
    レールのKTKは「小倉鉄道」ってことはないでしょうか? 九州鉄道時代に発注された他の線から持ってきたとも考えられますし、製造年の調査が宿題ですね。

    by おっちー €2014-04-04 23:04

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    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    コメントありがとうございます〜。
    おっちーさんにそう言われると嬉しいですね」(^^)
    確かにKTKは小倉鉄道ともとれますよね。1915年(大正4年)から1943年(昭和18年)と考えればそちらのほうが矛盾が少ないです。
    それでも廃止まで使われていたのならば、結構交換の基準がアバウトだったんでしょうか?(笑)
    興味は尽きませんね〜

    by Taka €2014-04-05 00:10

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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