2024/07/01
北九州市門司区西海岸
約6年半の歳月は100年の時をついに繋いだ。
【門司港駅(もじこうえき)】だ。
2019年(平成31年)3月10日、約6年半という長きにわたり修復工事が進められてきた門司港駅がグランドオープンとなった。
猛烈な勢力を誇る雨男の私が6年半もこの日を楽しみにしていたせいでグランドオープン当日は当然雨。
朝から深深と降り続ける雨はそれはそれで趣があったのだが、約1週間後に再び訪れた快晴の日の写真とともに復元された門司港駅を切り取っていこう。
駅舎正面からの印象は1929年(昭和4年)に設置された庇(ひさし)が撤去されすっきりした印象。
↑改修前の門司港駅
歳月を重ね失われていた屋根の飾りも再現された。
大時計は1914年(大正3年)の竣工時には設置されておらず、1918年(大正7年)ごろ設置されたそうだが、歴史的価値から当時の文字盤に復元され今日の時を刻んでいる。
コンコースは広々としており、正面右手には「スターバックスコーヒー」がオープンした。
この写真だけ見て「!!!」と思ってるあなたは鉄ちゃんに間違いない。
スタバ関係者には鉄道マニアがいたのか?というほど、機関車のナンバープレートを模した店名銘板、古レールを使った看板や内装、歴代のエンブレムはヘッドマーク!?
所々に「鉄分」が含まれている。鉄分:鉄道を感じさせるという意味の鉄道マニア用語(笑)
大きなカウンターテーブルはコンクリート製。
しかしよくよく見るとなにやら混ざってる。
これは鉄を作る時に出る「鉱滓」、鉄鉱石から鉄を取り出した後に残るスラグとも言われる不要物だ。
[過去記事 北九州の【鉱滓煉瓦】のお話 ]
北九州という土地が鉄の街として栄えたこと、そして九州の鉄道の起点である門司港駅への敬意すら感じられる店舗デザインだ。
ただの鉄道へのオマージュだけでなく、北九州という土地柄も店舗へ組み込んでいる。
鉄ちゃんのスタバ社員の線も抜けきれないが、こちらこそスタバに感謝、である。
◇◇◇
赤絨毯の階段を登れば旧食堂の名を復活させた【みかど食堂 by NARISAWA】
今日は定休日らしいのでお食事はまたにしようお財布が重たい時にな
ちなみに改修前はこんな感じで1981年(昭和56年)に旧みかど食堂が閉店してからは使われることはなかった。
見ての通り改修前は駅舎のほとんどの木部は白色の塗装で”化粧”されていたが、今回の改修では焦げ茶色のワニスという樹脂で塗装を行い、より一層重厚感を持つこととなった。
この階段はレストラン直通の専用だが裏手からは誰でも2階へと昇れる階段があるので、そちらから上ってみよう。
赤絨毯の階段を上ってまずある部屋は【旧次室】
次室(じしつ)とは重要な部屋に隣り合う側室であり、後から紹介する【旧貴賓室】に対しての部屋だ。
順番が前後するが、門司港駅には【貴賓室】があった。
当時日本の駅には一〜五等の等級がつけられていて、門司港駅は一等駅であり、一等駅には「貴賓室」を設置するという決まりがあったのだ(建築当時は内閣直属の”鉄道院”が業務運営していた)
貴賓とはすなわち「皇室」を指す。
実際に皇室が利用した記録も残ってあり、この門司港駅が重要な駅だったことは想像に難くない。
次室は側近が利用したのだろう。
しかしその造りは美しく豪華であり、壁紙や装飾も美しいものだ。
壁紙は一面花柄で、銀色の縄で周囲を覆っていた。
隣の貴賓室にはトイレを挟み繋がっているが、一旦廊下に出て向かう。
【旧貴賓室】だ。
ここの赤絨毯だけは他とは違う深みがあり、混じり気のない赤色をしていた。
復元後のこの部屋は「みかど食堂 by NARISAWA」の特別室として使われるため、通常は立ち入りができない。利用料は一部屋1万円らしい
ここだけにはカーテンがかけられており、そのカーテンの柄も当時の柄に復元された。
今まで損失していたが、改修中「壁の中から一部が見つかった」という。
なんと、ネズミが巣作りのために食いちぎって壁の中に持ち込んでいたそうだ(!)
ネズミ、グッジョブ!!
壁紙もそのほとんどが失われていたが、門司区内の当時の関係者がたまたま保管していた壁紙が見つかり、成分分析の結果同じものと判明。
晴れてこの部屋に復元されたのだ。
細部を見てみると次室に使われていた銀色の金具や装飾に対し、貴賓室には金色が使われている。
こういった細かい部分をみると、当時の人々の目線や考え方を感じられるのが不思議だ。
小さな部分だが、当時の雰囲気を今へと伝えている。
次室と貴賓室はホーム側(南側)に向いている。
一方北側(駅舎正面側)は「みかど食堂 by NARISAWA」のホールとなっている。
◇◇◇
貴賓室の先にはガラス張りで壁の内側(屋根裏)を見ることができる。
補強とバリアフリー化を兼ねる新設されたエレベータを下ると、先ほどのスターバックスコーヒーの店内に出る。
◇◇◇
この他に待合室や展示スペースも設置され、展示スペースには改修前は駅事務所内にあった誇りの鏡が移設された。
駅員の襟を正し続けたこの鏡も新たな場所で、訪れる人々を映し続けることだろう。
◇◇◇
1891年(明治24年)、鉄道の黎明期だった頃に初代が開業。
1914年(大正3年)、今の駅舎が竣工されたのは100年以上も前のことだ。
その当時と変わらない姿で復元された【門司港駅】
これからの100年の歩みはまだ始まったばかりだ。
KitakyuHeritage
Written by TAKA