キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産

門司港駅 【誇りの鏡】

time 2012/09/25

門司港駅 【誇りの鏡】

1914年(大正3年)1月に建築された現門司港駅駅舎。
100年もの月日にはたくさんの人間ドラマがあったことだろう。

時は遡り、昭和20年。
終戦を迎え、多くの引揚者が門司港にも到着した。
朝鮮の釜山からふるさとへ帰る途中の池田うた子さんもそのひとりだ。
3歳の子供を連れ、大きなお腹を抱え故郷の茨城へと帰る途中だった。
しかし、故郷から遠くはなれた門司港の地で産気づいてしまった。
当然知り合いも身寄りもいないので困り果てているところに手を差し伸べたのが当時の門司港駅職員だった。
うた子さんをリヤカーに乗せ、3歳の子供を背負い、励ましながら病院に向かうも時刻は午後9時。
医者も看護師も、もう誰もいなかったのだ。
職員は自宅へと連れて行き、近所の女性に助けを借り、昭和20年8月21日、無事男の子を出産する事ができた。
その後朝鮮半島からご主人も引き揚げてきて、家族そろって無事に故郷の地を踏む事が出来たという。
産まれた赤ちゃんには、「左門司(さもんじ)」と名付けた。

それから数十年経ち、成人した左門司さんは結婚する事となり、かつてより聞かされていた出生のエピソードから、自分の恩人である当時の駅職員を結婚式に招待したいと考えた。
26年の時が経ち、恩人探しは難航を極めたが、暖かい人々の善意により見つける事が出来た。
ぜひとも結婚式に来てほしかったが、
「国鉄職員として当たり前のことをしたまでです」と辞退した。
しかし航空券まで用意しての熱心な誘いに、招待を受けたという。
昭和46年6月のこと。
結婚式の終了後、左門司さんの父がお礼に送ったのが楕円形をした大きな鏡だ。

当時の駅長はこのエピソードに感銘を受け、「国鉄職員の誇りである」とし、
この鏡を【誇りの鏡】と名付け、駅事務所に掲げた。

戦後から数十年の時が経つも、世代をこえての交流が続いているそうだ。
現在も門司港駅事務所に掲げられているこの【誇りの鏡】はそのエピソードとともに、日々職務に励む多くの駅職員の襟を正し、今なお門司港駅を見守り続けている。

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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