2024/07/01
北九州市のお隣苅田町。
苅田港を抱え、現在は工業地帯で栄えるこの街に鉄道が開通したのが、1895年(明治28年)だ。
小倉駅ー行事駅(後の行橋駅)間の開通だった。
現在日豊本線はJR九州の管轄だが、当時は「九州鉄道」と言う私設の鉄道会社だった。
”私鉄”と言って良いものかは難しい所だが、当時は私設の鉄道会社が元気だった時代だ。
1906年(明治39年)、鉄道国有法が施行され、各地の路線はJRが発足される1987年(昭和62年)まで国有化されることとなる。
九州ではじめて鉄道を敷設したのもこの九州鉄道だ。
筑豊地区が炭坑で栄えた時代には網の目のように線路が敷かれ、エネルギー革命で石炭から石油へと移行してからは、貨物線、旅客線共に、多くの路線が消えてゆく事となる。
今回は今も残る、九州鉄道の遺構だ。
日豊本線苅田駅の傍らに今も残るこの杭。
【苅田駅の九銕用地杭(きゅうてつようちくい)】だ。
九州鉄道、略して”九鉄”の用地杭だが、注目すべきはその文字。
鉄、ではなく銕と書かれている。
”銕”は”鉄”の古字である。
県内にはいくつか”九鉄”の用地杭が現存しているが、”九鉄用地”と新字体で書かれている杭も存在しているので、かなり古い物だろう。
苅田駅が開業したのが開通と同時の1895年(明治28年)。
当時の物だとしたら120年近く経っている計算になる。
位置関係としてはこんな感じ。
手前が行橋側、奥が苅田駅東口
苅田駅東口から行橋方面へ歩くと駐輪場の先に見つける事が出来る。
1911年(明治44年)に廃止になった、小倉-大蔵-黒崎を結んだ九州鉄道大蔵線の大蔵駅跡地で発掘された、九銕用地杭が、説明板とともに保存されている。
この事例もあって、苅田町の教育委員会へ「近隣に学校も多いし、歴史ある物だから保存活用してみては?」と陳情してみたが返事はナシ。
JR九州の用地杭として現役なのかもしれない。
おもしろいのは書体の比較。
↑苅田駅の用地杭
↑大蔵駅の用地杭
あたりまえと言えばあたりまえだが、コンピュータも無い時代、恐らく当時はひとつずつ手彫りで彫っていたのだろう。
写真では解りづらいが、書体がずいぶん違う。
遺構は多くは語らないが、そこに”誰か”が関わっていた事はまぎれもない事実。
こんな”人の手”を感じられる事が、遺構探しの醍醐味なのかもしれない。
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