2024/07/01
北九州市小倉北区高浜。
国道3号線沿いに黄色い古レールで作られたフェンスがある。
フェンスから線路側を覗けば、今日の出発点がある。
今も遺るその階段。
【小倉鉄道東小倉駅(こくらてつどうひがしこくらえき)】跡だ。
この階段はホームへと続いていたと言う。
時刻表に載らない【東小倉駅】だが、それもそのはず、現存していない。
貨物駅であるJR貨物の「東小倉駅」は存在するが、それは別物。
今日巡るのは東小倉駅を起点として、砂津・富野・足原・黒住町を抜け水町、現在の国道10号線と日豊本線を越え、日田彦山線石田駅までを結んでいた路線跡だ。
途中駅は東小倉駅→妙見駅→石田駅。
小倉鉄道添田線(そえだせん)として開業したのは1915年(大正4年)。
後に国有化されたり”日田線”と路線名を変えながら、1956年(昭和31年)に旅客扱いを廃止、1962年(昭和37年)には貨物支線としての役割を終えた。
添田線と言う名称は他にも存在するのだが、今回は廃止された東小倉—石田間を差し、開業当初の「小倉鉄道添田線」と表記する事にする。
日豊本線城野駅から日田彦山線石田駅までの短絡線が出来た事がきっかけとなる廃止だった。
50年弱の歴史ながら、その存在を知る人も少ない。
と、言うのもその痕跡が人の目につく場所にほとんど遺っていないからだ。
廃線と言えば、盛土や踏切や信号跡、状態が良ければ枕木やレールなんかも遺っていたりするが、この路線は幅12メートルの路線跡のほとんどを住宅地として売却している為、そこに列車が走っていたと言うイメージすら抱く事も難しい。
東小倉駅を起点のゼロマイルとして、地図を片手に出かけてみよう。
ホントはスマホ×Googleマップだけどね。
東小倉駅を出発した列車は小倉駅方面へ向かうと本線から左に逸れてゆく。
なかなか開かない南山越町踏切(みなみやまごえまちふみきり)に繋がる車道が線路跡だ。
いつかはおじゃましてみたいAudiディーラーとの境界に[工]の杭が点在している。
道の反対側にも[工]の杭。
新幹線の高架下にある用地杭は現役のJRの用地杭だろうが、この道が鉄道用地だと言う事が解る。
”砂津二丁目”の交差点に出る。
かつて西鉄の路面電車が走っていた頃はここに専用軌道があり、その下を添田線の列車が走る立体交差だった。
そのまま路線跡は真っ直ぐに進む。
商店街を抜けると道路橋との立体交差がある。
【新砂津橋】1960年(昭和35年)竣工のようだ。
1956年(昭和31年)に旅客営業を廃止しているが、1962年(昭和37年)まで運行していた貨物支線を跨ぐ為に作られたのだろうか?
その足下には何故か西鉄の用地杭が横になって埋もれていた。
新砂津橋から妙見方面を見下ろすとガソリンスタンドが見えるが、そこを線路は突っ切っていたようだ。
お次ぎは都市高速の高架だが、列車が走ってた頃はもちろん開通していない。
左奥に見えるのは菊ヶ丘公園。
年長者いこいの家があるが、ここに集う方は小倉炭鉱の語り継ぎを積極的にされているので、お話を聞くと興味深いかも。
公園の脇を列車は走っていた。
その近くを流れる今は暗渠となっている小川に煉瓦橋台と思われる遺構が遺る。
大畠エリア。写真の左手のアパートの並びが路線跡。
この辺りは小倉炭坑がありとてもにぎわっていたと言う。
支線も多く引き込まれていて、トロッコが走り回っていたそうだ。
2012年の夏に発掘された煉瓦橋台も位置関係の手がかりだ。(現存せず)
さらに先へ行くと、添田線最大の遺構である煉瓦橋台を見る事が出来る。
神岳川に架かっていた橋梁跡だが、今はその上にビルが建っている。
ここから先は道が入り組んでいて、路線跡を見失いそうになるがソコは文明の利器、スマホを駆使して辿る!
足原交番辺りが【妙見駅(みょうけんえき)】
一方通行や離合困難や行き止まり。
車で行くのはやめたほうがいいね。
この路線跡を巡る法則がひとつあって、写真の塀の下部のブロック、同じ物がずっとあるんだよね。
廃止後一斉に整備された時に同じ物を使ったのかどうかは解らないが、これを目印にしてもいいと思う。
足原エリアではまた暗渠となっている小川に架かる煉瓦橋台を発見!
これも小倉鉄道の遺構と言って間違いないでしょう。
ちょうど路線跡と思しき場所に不自然なカタチが・・・
橋台跡?に見えなくも無いが・・・詳細不明。
高いレベルを走っていたのだろうか?あのブロックの上が路線跡。
これまた怪しい台形。よくみると積み方は違うがあのブロック。
1955-10の数字が。
1955年(昭和30年)は旅客廃止の前年だ。
また路線上に怪しい石積みが。
これも関連性は不明。橋台跡だったりするのかなぁ?
国道10号線を跨ぎ、さらに現日豊本線を立体交差する。
するとまた先ほどと同じ石積みが。
やはり関連性があるのだろうか?橋台跡だったらいいなぁ。
奥にちらりと見えるのは現日田彦山線。接続箇所までもうすぐ。
日田彦山線の蜷田(になた)踏切付近、奥の住宅の辺りが路線跡。
路線を辿る手がかりは少ない。
しかし実際に歩いてみると何となくだが軌道が見えてくるのだ。
いくつかの遺構があるものの、その痕跡は解りづらい。
道路とか住宅とか今見えている物に捕われてはいけない。
その位この廃線跡は姿を変えている。
今は地図に載らない線路を、かつては蒸気機関車がドラフト音を高らかに走っていたかと思うと感慨深い。
歴史は目に見えぬ形でも生き続けているのだ。
より大きな地図で 小倉鉄道添田線 を表示
コメント
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そうです、妙見駅付近と言うのは、この足原エリアの
橋台跡のことでした。
素晴らしい。このように地図に反映させる方法を、今ごろ
勉強中で・・・。
いずれ、私なりの仮説を元にトレースしたいと思っていま
す。ありがとうございます。
by べーやん 2013-05-11 00:24
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大畠の煉瓦橋台はちょっと微妙な場所ですからねぇ。
よかったらお子様と探検いかがですか?
こどもと一緒なら怪しまれません。僕はそうしてます(笑)
レポート期待してます!
by Taka 2013-05-11 09:48
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3号線のあの辺は以前よく歩いたので、階段は知ってましたよ。なんの階段かは全然考えたことなかったけど(^_^;)
駅の跡だったんですね~。
砂津近辺は頻繁に行くので、今度はじっくり見てみたいと思います。
ちなみに九軌用地杭は見ましたよ♪写真そのまんまでした~ヾ(^v^)k
by 空花(そらはな) 2013-05-13 13:01
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何気なく見ている景色が実は面白い過去があったりするので、街歩きはおもしろいんですよね〜。
九軌用地杭見に行かれたんですね。
かなりのマイナースポットですけどね(汗)
お散歩のワンコの邪魔にならないように観察しましたよ。
by Taka 2013-05-13 22:07
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今から50年(!)ほど前に足立公団(今はスーパーになっていますが)に住んでいて、この線路跡や小倉炭鉱跡でよく遊んでいたものです。私にとって大変懐かしいテーマを取り上げていただき有難うございます。
廃線直後でまだ原型をとどめていて子供の遊び場所としては恰好の場所でまだ鮮明に覚えています。
by akawa 2013-09-02 10:53
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どうも、初めまして!
50年程前ですか、ビックリです!
こういう遺産は残っている物を頼りに散策しますが、当時の事を知っている方にお話を聞けるのが一番貴重ですよね。
ぜひとも次の世代にも思い出話であっても伝えて行ってください!
by Taka 2013-09-02 14:28
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Takaさんのこのブログで興味がわき、上富野の階段跡を見てきました。
その後、Google map航空写真で、建物の並びから、小倉鉄道の線路跡を予想することが出来ました。上富野から妙見まで、周囲の家の並びとは不自然に、南北に並ぶ建物があります。
by 中村博雄 2014-02-28 00:22
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コメントありがとうございます。
小倉鉄道の遺構は少ないものの、よくよく気をつけて見れば、見えない物も見えてきますよね〜。
Google mapはホント、役に立ってます。
勝手ながら、
「サポーテッド、バイ、グーグルマップ」
です(笑)
by Taka 2014-02-28 00:39
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この階段は気が付いていました。 子供の頃から探検が好きな子だったので、一人で大遠征していた私は、「なんで大きな階段があるんだろう?」と思っていました。
大人になって父と車で走ったとき、「ほら、そこから降りて行く階段があってね、昔は駅があって日田彦山線が出とったんよ」と教えられてびっくりしました。 父も母も日田の出身で戦前に門司へ移住してきた人でした。 日田から汽車に乗って、今は消えたこの駅に降り立ったのでしょうね。
by ひげおやじ 2017-02-24 20:17
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未だに遺る駅の跡とはもはやそれだけではわかりませんよね。
やはり人の数だけ東小倉駅も思い出があったはずです。
お父様、お母様もいろんな思いで東小倉駅に降り立ったのでしょうね。
消えてしまった今となっては語り継ぐ人も少なくなるのは仕方ありませんが、こうしたお話がそれをリアルな物にしますね。
コメントありがとうございました!
by Taka 2017-02-28 22:38