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岩松助左衛門と【白洲灯台】

time 2013/06/02

岩松助左衛門と【白洲灯台】

北九州は響灘。
晴れた日に工業地帯から遠く沖を見れば、小さく見える縞しまの小さな灯台。

通常は近づく事さえ難しく、立ち入りには海上保安庁の許可がいる。
しかし、年に一度だけ清掃活動のために有志が集まる日があるのだ。
この清掃活動に参加出来る機会を得る事が出来た。

集合は小倉北区長浜漁港。
この集合場所には意味がある。


時は江戸末期の文久年(1861年-1864年)
豊前国企救郡長浜浦、現在の北九州市小倉北区長浜町はあの小さな灯台を建てる事に生涯力を尽くした、
【岩松助左衛門(いわまつすけざえもん)】
1804年(文化元年)〜1872年(明治5年)が生誕した地だ。

代々庄屋の家系であった助左衛門は長年の信頼から、1861年(文久元年)に小倉藩より海上御用掛難破船支配役(かいじょうごようかかりなんぱせんしはいやく)を命じられる。57歳の頃だ。
今の海上保安庁の様な仕事で、響灘一帯の海の交通と安全を守る仕事だ。

しかし海上には浅瀬や暗礁が多く、座礁し難破する船が多かったと言う。
特に”西国一の海の難所”と言われた白洲には事故が絶えなかった。

ある日、難破した船を救出しようとするも天候は大荒れ、ようやくたどり着いたそこには粉々に砕け散った船と、命を落とした数名の乗組員の姿があった。
それを目の当りにした助左衛門は灯台の建設を思い立ったと言う。

しかし多額の資金と、藩の許可も必要な為、難航を極めた。
藩の許可に関しては熱心な要請により下りる事となったが、建設費用である三千両、今の2億円ほどの資金を調達する事は容易でなかった。
助左衛門は自分の財産の全てを投げうるも到底それには満たず、資金繰りの為に西へ東へと走り回った。

追い打ちをかけるように時は幕末の混乱の頃、新政府から新たに許可が出たのが1869年(明治2年)だった。
難破船を救助する仕事が無くなると反対する者や、不正を働く者、妻や子の死など幾多の困難に苦しみながらも、自らの利益を求めるでもなく、ただただ尊い命を守りたいと言う強い志だけで生涯を捧げた。

1870年(明治3年)基礎工事が始まるも、助左衛門の体は病に蝕まれていった。
役人は「神妙奇特の至なり」と偉業を讃えた。
1872年(明治5年)明治政府による建設が決まるが、同じ年の4月25日、灯台に灯がともるのを見る事無く65歳の生涯を閉じた。

翌年の1873年(明治6年)、白洲灯台は完成し、9月1日に初めての灯がともる事となる。


響灘のこの小さな灯台には一人の人間の生涯を捧げた深い深いドラマがあったのだ。
梅雨の頃、天候が荒れれば出航は不可能となる中、小雨は降るものの幸いにも大荒れとはならず決行となった。

地元の小学5年生の児童たちも学習の一環として集まり、総勢は60名ほど。
その他には千葉から来られた灯台愛好家の方もいらっしゃった。


主催は『岩松助左衛門翁顕彰会』として岩松助左衛門翁の偉業を讃え後世に残すと共に灯台保存に力を入れられている会員達。


6台の漁船に振り分けて、出航となる。


海側から見ると、北九州は工業地帯なんだな、と改めて思う。


若松の風力発電の10連風車が見えて来る。


揺られる事30分程、その姿がだんだんと近づいて来た。


しかしなかなか接岸しない。
エンジンを切り、ゆらゆらと波に揺られている。
どうやら、潮のひき具合から浅瀬に乗り上げる恐れがあるため、近付けないとの事らしい。

今も昔もやはりこの一体は海の難所と言うのは間違いない様だ。
「やおいかんわー」が飛び交う。
海上で別の船へ乗り移り、ようやく着岸。


若干船酔いでフラフラになりながらも、上陸。


ゴミ袋を持っていざ清掃!と意気込むも、それより前に上陸した元気な小学生達のおかげで、そんなにゴミは落ちていなかった。


砂浜には島特有の低い植物が茂っていた。
その他は流木や貝殻、海藻の類いなどが落ちているくらいで、清掃活動!と言うほどの仕事はできなかったよ。

ハリセンボンの亡きがらをカッコイイ!と言って持ち帰ろうとしてた、あの男の子、おかあさんに怒られてはいまいか(笑)


海上保安庁のヘリも飛んで来て、手を振る。
清掃が一段落した所で、灯台を見に行く。


【白洲灯台(しらすとうだい)】だ。


1873年(明治6年)に木造の灯台として初めて灯がともった。

設計は日本の灯台の父と言われるリチャード・ヘンリー・ブラントン。
ブラントンの設計した灯台は、北九州市内では部崎灯台がある。

当時の写真がコチラに紹介されている。

特徴である黒と白の縞しまは、海上で船の帆と見分けづらいとの理由から1876年(明治9年)頃に塗り分けられたと言う。
北国では降る雪と混同すると言う理由で赤白なんかに塗り分けられる事が多い様だが、九州では非常に珍しい。


1900年(明治33年)に石積みの土台と上部を鉄製とした現在の姿へと改築される。


当初助左衛門が設計した灯台は、小倉城内に復元されているよ。


管轄する海上保安庁が内部を公開してくれた。
がらんとした内部は鉄製の急な螺旋階段で上部へと繋がっている。
老朽化が激しいため、登る事は出来ないそうだ。残念。


窓枠などは驚く事に木製であった。剥離している所もあり、やはり危険な様だ。


「日本の灯台50選」にも選ばれている白洲灯台だが、特別に修復予算が組まれる事は無く、海保の方々も余った予算をやりくりし、足場を組まなくても出来るペンキ塗りなど、自分達の力で出来る補修を続けているそうだ。
”お役所仕事”ではないこの灯台への想いがすごく感じられたよ。
さらに話によると、”げんを担ぐ”という理由から建て直しはしたくないらしい。
そんな風習、いいよね。


波による物か、石積み基礎の一部は崩壊していた。


何があったかはわからないが、煉瓦の基礎の様な物。


周辺にも煉瓦の欠片がたくさん落ちていた。


これも何かは解らないが、錆び付いている鉄の輪っか。
第二次世界大戦末期、白洲には照空分隊があったと言う。
サーチライトで空を照射し、敵機を探す為の物だが、もしかしたらその遺構?

その答えはコチラ


てっぺんの東西南北を表すN-E-S-Wは”W”が無い。
どっかに飛んで行っちゃったのだろうか?


130年記念のプレートが張られていた。


この日、新たに建てられた慰霊碑の除幕式も行われた。


この海の難所で、事故に遭い命を落とした者、なんとか白洲に上陸出来ても水も食料も無い場所で命を落とした者、数えきれない程の尊い命を慰める為の慰霊碑だ。


以前も慰霊碑はあった。
どこからか流れ着いたのか、それともこの島に流れ着いた者が生を信じ作った物かはわからないが、人の顔が彫られた石があり、それを顕彰会の方々が大切に守って来たと言う。
それが新しく作られたこの慰霊碑の中に収められているとの事だ。
各地の灯台の足下には慰霊碑が建っている事が多いらしい。

それは白洲灯台と同じく、海の難所であった為に誰かが声を上げ灯台を作って行った事の現れだろう。


助左衛門は自らの地位、名声を欲とせず、まさに「世のため人のため」と生涯をこの灯台の建設へと捧げた。
灯台下暗しと言うが、自分の足下を照らさずに人のために尽力する事は簡単な事ではない。
強い想いと志、少なくとも我々はその想いを引き継いで行かなければならないと思うのだった。



近づく事は難しいが、若松沖の玄界灘には今も海の安全を願い、闇を照らし続ける灯台がある。


島を離れ、徐々に小さくなって行く白洲灯台を振り返った。
陸からも小さく見える縞しまの灯台を見て、岩松助左衛門とこの日を思い出すことだろう。

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コメント

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    お腹いっぱいになりました。
    上陸することができるんですね。それも超地元の漁港から・・。
    知らんやった・・・・。
    ぜひ、一度この目で見てみたい遺構ですばい。
    あ、行く機会があればちゃんと掃除もします。

    by blue field €2013-06-04 01:02

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    そうなんですよ、僕もちょうど一年前に知りまして、一年待っての上陸でした。
    大体毎年6月上旬に開催するらしいです。
    超地元、なんですね(笑)
    来年はぜひとも参加してみてください、貴重な体験が出来ますよ〜。

    by Taka €2013-06-04 08:01

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    はじめまして。
    長浜末広でまちづくりのお手伝いをしているものです。
    岩松家のことを掲載されていますので、ご案内いたします。
    来週の10/19・20の土日に岩松家の一般公開を致します。
    10:00~16:00の開館となりますので
    ご都合がよろしければ、お立ち寄りください。

    by urakana €2013-10-12 14:53

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    ありがとうございます。
    一般公開があるんですね、ぜひ行ってみたいです!
    Twitterにて簡単ですが、興味のある方に向けて紹介したいと思います。

    by Taka €2013-10-12 21:39

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    海が好きで、あちこち行くうち、灯台に魅力を感じるようになりました。去年は角島、日御碕、美保関や部埼なぢに行きました。
    岩松翁顕彰会の清掃に参加するにはどのようにすればよいでしょうか。御教示いただければ幸です。どうかよろしくお願いします。

    by Tetsuo €2015-02-14 20:20

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    Tetsuoさん コメントありがとうございます。
    清掃活動は概ね毎年6月の初めに行われています。
    問い合わせ先なのですが、個人宅の為こちらで記載はできませんが、私は「雲のうえ 一号から五号」と言う書籍に載っていた電話番号から運良く参加できることになりました。(amazonでも買えるようです)
    顕彰会の方も最初は驚かれていましたが、熱意を持っていれば快く受け入れてくれると思いますよ。
    ただ、船のチャーターの都合もあるようで、早めの申し込みが良いと思われます。
    美しい灯台を間近に見れて非常に良い経験ができたと思います。
    参加できる事になったらぜひまたコメントくださいね!

    by Taka €2015-02-15 00:34

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。


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