キタキューヘリテージ Kitakyu Heritage 近代化遺産

岩松助左衛門生誕の家跡

time 2013/10/25

岩松助左衛門生誕の家跡


若松沖、響灘に浮かぶ縞しまの灯台【白洲灯台(しらすとうだい)】とその建設に生涯を捧げた【岩松助左衛門(いわまつすけざえもん)】
小倉北区長浜に、岩松助左衛門の生誕の地がある。

【岩松助左衛門翁生誕の家跡】

通常は公開されていないのだが、このブログを通じて一般公開が開催されるとのお話を頂いたので、これはチャンスとバイクを走らせた。


旧街道沿いの面影を残す、長浜・末広エリアのまちづくりの一環として大学の研究室主体でイベントを行っており、その一つとして今回の岩松家の一般公開が実現したとの事。
当日は助左衛門の玄孫の方もいらっしゃって、非常に興味深い話を聞く事ができた。
玄孫(やしゃご)→つまり助左衛門の孫の孫だ!




玄関正面には立派な獅子の絵が。








玄関より右手が居間となり、典型的な町家の作りで所々に凝った意匠も見られる。

居間の奥側、庭に面した場所は応接間だ。




床は竹を利用したフローリングで落ち着いた佇まいだ。
貴重な町史が大切に保管されていた。

そこから庭を見ると柿の木と奥に土蔵が見える。
中央は厠だろうか?


玄関左手は土間になっている。





今で言う所のキッチンだ。
かまどや井戸があり、生活感を感じさせる。
この家は今でこそ無人だが、近年までは岩松家の方が暮らしていたのだろう。



作りとしては木造二階建て。


ギシギシと音をたてる急な階段と、古い家屋の匂いは、亡くなった祖父母の家を思い出させた。
二階にこそ登らなかったが、許可をいただいてちらっと覗かせてもらう。
かまぼこ状の天井が気になる所だ。


助左衛門は私財をなげうってまで航海の安全の為、白洲灯台建設に生涯を捧げた。
そこで疑問が残る。
なぜこんな立派な町家が今も残っているのか?
答えは玄孫の方に聞く事にした。
実はこの建物自体が完成したのは助左衛門が亡くなった後の事。
次男である栄吉が建てたと言う。
これまた疑問が。
財産なんて残ってなかったはずなのに?
その答えが興味深い。
栄吉も灯台とは縁が深く、白洲灯台も含め、生涯を各地の灯台で灯台守として働いていたそうだ。


そもそも危険な職業である灯台守なので、政府から多額の報酬を受け取る事が出来た。

岬の突端で、あるいは孤島での仕事、お金を使う機会もなく、直接故郷へと送金していたらしい。
それが募り、今も残る立派な家を建てる事が出来たのだ。







土蔵も残る立派な町家、旧岩松家住宅。
子孫の繁栄を助左衛門も喜んでいるに違いない。

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追記
この記事ののち、2021年6月に国の登録文化財にもなった「岩松家住宅」ですが、2023年11月、登録を抹消し建物が解体されたとのことです。老朽化と維持困難が理由とのことです。歴史を語り継ぐ貴重な建築でしたが、非常に残念に思います。

Kitakyu Heritage
Write by Taka

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Taka

Taka

1981年生まれ 北九州市門司区在住 愛車はVolkswagen The Beetle / Vespa LXV125 / Moto guzzi V7(850)  かつてはカフェ勤務経験ありのコーヒー好き。調理師免許所有。街歩き 人間観察 ひとり旅 基本陰キャのコミュ障。悩みは飼い犬(ミニチュアピンシャー)が懐かない事。 人と人、歴史の点と点、結びつければ歴史が紐解かれる。